科学・技術・健康の最近のブログ記事


先の交通死亡事故に合わせて「交通事故は増加中だ」的な話が出ているようで。まぁ、これも以前から何度か言及しているけど、事故が増えているとか事件が増加しているとか不良少年は一杯だとかいう話は多分に、自分が見聞きする機会が増えたってことだったりする。情報取得媒体は増え、接する機会も増え、伝える側も細かく反復して伝えているし、単なる報道としてではなくエンタメ感覚で伝えるようになっている。自分のアンテナに引っかかったものだけで全体像を把握したつもりになると、そういう錯覚に陥ってしまう。


何となくそう思ったので仕様追加とか、もうちょっとこんな感じにならないかな、的な思い付きの変更とか、これまでの行程が全部チャラになったとも表現できるようなやり直しの指定。けれど、元々投入されているリソースがけた違いのものだから、それらの作業に正当な評価・対価をしたとしても十分以上にお釣りがきまくるようなものであれば、ストレスも無いしモチベも落ちない。現金ではあるけど、得てしてそんなもの。それらのリテイクも合わせての料金だと納得ができるし、労力をかけても別にかまわないという自負すらある。

理不尽なリテイクとか無茶な仕様の変更とか、要はそれに見合った以上の対価が提供されていないからストレスがたまるし文句も出るわけで。「王様の仕立て屋」の織部氏による特急料金ってのが好例だな、と。

で、さらに事実として多分に、指摘されている通り、むしろ対価が低い仕事の方が、無茶ぶりをしてくることがある。これは当方の経験則でも複数回あるので、100%その通りとは言わないけど「大体あってる」と言わざるを得ない。単価の高いお仕事ってのは仕事の内容をちゃんと把握して、その上でそろばん勘定をしている場合が多いから、無茶をすることも無い。

以前「仕事を受注する時には単価を設定し、一定単価以下のはお断りしている」という話をしたけど、それも結局のところ、お金の面だけじゃなくて様々な観点での対応の観点でも、よい仕事先を選択する方法論になっているのだろうな。カウチポテト感覚で仕事を発注してくるところは、ろくなものじゃない。


先日のサトウの低たんぱく質ご飯に関する後日談的なお話。実際その関連の病にある人・あった人とか医療従事者なら実体験として分かると思うのだけど、この10年ぐらいの間でこの方面の食の技術って無茶苦茶進んだ気がする。極端な話、エネルギーや栄養素を摂取するだけなら点滴とか錠剤でやればいいじゃんってことになるのだけど、それだと体の消化機能そのものが役割を忘れてしまうし、QOLが低下するのは否めない。だから、食事の形をしたものが必要だし、それを口から摂取することで満足感を堪能できる。

けどやはり味って大切。この味の観点で、随分と進歩が進んでする。これって関係者の努力の賜物には違いないのだけど、同時に需要が増えて必要性か高まった、企業側の肩を押す力が増えたからかな、という気がする。


先日から相次いで伝えられている、多数の人を巻き込んだ高齢者の運転による交通事故。これに合わせて規制の強化とか、若年層も同じぐらい交通事故を引き起こしているから別にいいじゃん・高齢者ばかり規制をするなという意見とか、色々と飛び交ってはいるのだけど。個人的には交通事故における第一当事者(加害者側)の年齢階層別における、第二当事者(被害者側)の死傷者数とか事故件数が知りたいな、という気はする。年齢階層別の免許取得者数は探せば出てくるだろうから、年齢階層別の交通事故加害者が生じさせた交通事故被害者の数や、該当年齢階層の免許取得者数あたりの比率が出せるはず。時間はかかるけど、余裕が出てきたら探してもいいかな。

で、その精査覚書はさておくとして。一連の討論で何か軸がずれているのでは、ということで頭の中のもやりとしたものをまとめたのが上のツイート。要は若年層とか高齢層とかいう、年齢階層別の区切りは直接関係があるわけでは無い。安全運転が期待できる身体能力・精神認識能力を持っているか否かが問題。そしてそれらの能力に関して、高齢者では老化によって生じやすいというまでの話。無論他にも安全運転をするための要素としては色々あるけどね。経験とか、粋がって無謀な走行をしがちかどうかとか、元々事故リスクが高い性格だとか。

例えば視力が低下したら眼鏡をかけたりしないと運転は継続できない。手を怪我して治療に長期間必要となれば、その間は運転は不可能。老化に伴う心身の衰えで生じる、安全運転ができないというリスクは、それと同じ感覚なんだよね。


専門用語や難しいように思える業界用語を使うと、それを使うと読めない人、分からない人が出てくるから使うな、というご意見をいただくことがある。そもそも専門用語とか業界用語の線引きをどこに定めているのかの定義も無く、それを禁じるってのは無茶な話で、それこそハンドルとかタイヤだって言葉として使えなくなるよな、という事になりかねない。あるいはグーグルで検索して該当ページ数が10万ページ以内のものを専門用語と設定する? バカバカしい。

言葉ってのは概念を具象化するためのものだから、その使用を禁じると、概念そのものが説明できなくなる。あるいはその構成要素をほぐした上で一つ一つ説明をしなければならなくなるので、それこそ百科事典級のものを作る労力が求められる。モノの例えでぼやかしての説明も可能だけど、それはあまりにも抽象化しすぎて、事実上間違いを伝えることになりかねない。まさに「分かり易いが正しいとは限らない」そのもの(もっともそのフレーズの多分は、意図的に間違っているものを分かり易く説明して、ミスリードさせるためのものって意味なんだけど)。

連休中の医療関連注意事項

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先行する形で救急外来(救急車で病院に運ばれてくる形での来院)に関する話をしたけど、その中で「救急車で運ばれてきたのに薬をちょっとしかくれなかった」というのがあった。これは運ばれた側からすれば理不尽に思うかもしれないけど、医療上の仕組みとして仕方が無いってのがある。

制限をしないと通常業務時間外に緊急搬送されることを繰り返してその場しのぎの対応を繰り返されて病状が改善しないってケースがあるからねえ。ちゃんと時間内に来院して診察を受け、正しい処方の上で適切な量のお薬をもらわないと。薬の服用もまた治療のプロセスに他ならない。応急処置の繰り返しでは治らないよ、という表現なら理解はしやすいかな。


テレビドラマとかだと救急車で救急搬送された患者が他の患者を押しのける形でわらわらと集まって来た医療関係者の治療を受けるというイメージが強いので、救急車で運ばれたら必ず最優先で搬送先の病院のリソースが集中されるという誤解を持ってしまう。しかし実際には救急車での搬送が、病院での対応最優先者を意味するものでは無い。救急車で搬送しなければならないような状態にあるのは事実だけど、それがそのままイコール最優先度となることを意味しないのだな。

実際にはツッコミのツイートにある通りで、救急車は自分で病院まで足を運ぶことが出来ない、緊急性が高いと思われる人を運ぶためのものでしかない。病院まで搬送されても優先順位が自動的に上がるわけでは無い(もちろん病状次第ではあるけど、それは病院に既にいる患者と同じ判断基準)。

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