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個人的には「元々そうだったのが暴露されやすくなった」「経年劣化と、世代交代の際の技術引継ぎがいい加減だった」の双方で、前者が圧倒的に比率としては高いかなあというのが実情なんだけど。大意や印象も情報であることを合わせ考えると、印象操作や意図的な編集もまた、誤解釈を意図した偽情報、フェイクニュースに他ならないなという感は否めない。信用して、たまにはミスするけど勘弁して、という許容領域をすでに超えている。

無論人間がやることだからまったくの中立公明正大なんてことはありえない。多少のぶれは許容されうる。ただし昨今の話......というかもう数年来どんどん増殖している感のある状況は、標準偏差ならば3σクラスの話が毎日起きているような感じ。ブラックスワンが一個旅団単位で毎日おしかけるような、そんな雰囲気。それはぶれとか誤差で納得できるものではない。


一連の園問題からメール問題へと拡大した、昨今の情勢を鑑みるのと共に、それに関して報道関係者、特に新聞発行企業の所属構成員、中でもそれなりの権限を持つ上層部の人が、色々と首を傾げる、ツッコミが入りまくる発言を相次ぎ成している。「個人の意思表明であって所属団体のそれとは異なる云々」の但し書きはなされているけど、一般企業が同じようなことをすれば、それこそ広報ですら総叩きに合い、報道界隈が旗振りをするほど後押しする、むしろ扇動、もとい先導するほどなのに、自分達のところは何のお構いも無しというのは少々虫が良すぎやしないだろうか。

自由に情報発信をしたいなのら、組織の上でのあれこれや実名と紐づけがされない、匿名で発言すればよい。何らかのか形で紐づけされる、さらには実名・実所属・肩書を公知した上での発言は、それらの権威や肩書を利用できるけども、同時にその背負ったものに対する責を負うことになる。利点だけ利用していて、責任は問わないというのは、まさに食い逃げと何ら変わりは無い。


「ゴミ」という表現はさておくとして。毎日新聞の「掲載」「掲載撤回」「一部削除の上で再掲載」をはじめ、一連の「園」問題に絡んだメールの公開に関して、大手報道がダイナミックなやらかしを現在進行形で行っている。内容の真偽に関しては個人的には「んなわけあるかい」的なレベルの信ぴょう性でしかないと個人的には思っているのだけど(ただしそこから火がついて、別のところで疑惑が物証付きで上がっているとの指摘がある)、同一案件でこれまで同じような真偽レベルのものを続々と伝え、あたかも事実であるかのように報じ、解説してきたのが、ある特定方面の界隈に関わるものとなると、突然ぴたりと報道を止め、解説もせず、さらには編集して無かった事にする。

当事者の要請によるものか、そうでなく自主的判断によるものかはさておくとしても。色々な意味で「報道」の体面がまた一つ二つ崩れた気がする。


雑誌の表紙にも登場することが多いジャニーズ事務所の方々。しかしながら事務所の方針でネット上にそのビジュアルを載せる事はダイナミック御法度のようで、プレスリリースやアマゾンの商品案内の画像ですら、影絵状態になっている。弟切草状態というと分かりやすいかな。

これが写真になると、ソ連邦時代の政治家の写真みたいになるのかな......と思っていたらまさにそんな感じだった。指摘されている通り、タイムトラベルで過去を改ざんされて、色々と無かったことになっている写真そのもの(最後は違うけど)。


報道機関は「分かりやすく、そして正しく伝えること」社会的責務であり、それは報道機関に関わらず他人に意思疎通をする際に必要不可欠な要素の一つである事、そして往々にして「分かりやすいけど正しくない」手口が悪用されており、それに注意しなければならないってことは、何度となく記事にしている通り。昨今話題を集めているテロ準備罪法案において、その話を思い起こさせるような事案があった。

今件は朝日新聞の記事から。他ソースでも確認済みなのでコピペとかコラージュの類では無い。政府が国会に提出した旧「共謀罪」こと「テロ等準備罪」(組織的犯罪処罰法改正案)に関して、すでに新しい名前に変わったにも関わらず、今後も「共謀罪」の名前を使い続けるとの宣言。以前問題視された「ISIL(ISIS)」を「イスラム国」と表現し続けた頑なさを覚える...のと同時に色々と思惑を覚えてしまう。

「テロ等準備罪」という呼称を用いると、「テロ」のイメージがすぐに浮かび、対応しなければとの認識がすぐに分かり、理解は容易くなる。ところが「共謀罪」のままでは何か普通のことでも共謀した時点で処罰されてしまうかもというイメージがあり、不安を覚えさせる(実のところはそんな妙なものではないのだが、少なくとも一部報道界隈などでは、そのような説明をしている)。

イメージを変えさせるのが好ましくない、これまでの印象をクリアされるのが望ましくないのか。それとも単に面倒くさいのか。または一部で成されている戦前の治安維持法との連動性を断ち切られるのが望ましくないのか。あるいは何か不都合でもあるのか。少なくとも正しい言葉の使い方ではない。「テロ等準備罪」(旧「共謀罪」)とか(「共謀罪」から転じたもの)とでも表現すれば問題はないはずなのに。これでは「一部の人にとっては分かりやすいかもしれないが、正しいとは言えない」となってしまう。

「本気で自殺したいと思ったことがある」と回答した割合は23.6%(前回23.4%)と横ばいで、「最近1年以内に自殺したいと思ったことがある」割合は全体の4.5%(同5.3%)とわずかに減った。

厚労省の発表データとはあるけれど、実は厚労省のプレスリリースとか新着情報では反映されておらず、内部の調査研究一覧からその更新内容を確認できる。手続き上のミスか、あるいは面倒なのでプレスリリースの類は出していないのか...いずれにせよ、あまりよろしい話では無い。

で、記事に登っている「考えたことがあるか」は過去に一度でもあるかないかという話。また、「その中で」過去1年以内に考えたことがある人は18.9%。長い人生の間には結構そういう経験もあるだろう、とう感は否めない(生存者バイアスも多少は存在しているだろうけど)。


専用チャネル系のケーブルテレビは学術的価値などがあるので、自分の需要にあったチャネルがある人は話が別となるのだろうけど、映像娯楽ツールとしてのテレビは今や多数の選択肢の一つでしかなく、しかも相対的価値観は以前と比べてグンと下がってしまっている。昔は雑貨屋さん一店しかなかったから生活必需品はみんなそこで買ったけど、今はスーパーやデパート、コンビニもあるし、ネット通販でお買い物もできるよ、って感じ。

世の中に選択肢がたくさんある現状でも、当事者にとってはその選択肢は目に入らない、使えない、実質的に昔のままであるのなら、テレビは今なおナンバーワンの存在に違いない。けれどそうでない人には、たくさんある選択肢の中で、しかもハードルが高いものとなる。携帯電話が電話のメインとなった現在における固定電話が近いポジションかな、と表現すると理解はできるはず。


「フェイクニュース」なる言葉は以前から存在はしていたのだけど、話題注目を集めるようになったのは米大統領選挙後から。選挙後に米テレビや新聞などの既存メディアが「米大統領選の結果はフェイクニュースのせいだ、フェイクニュースが悪い」ということで、自らの偏向報道ぶりを棚に上げておき、ソーシャルメディアなどで伝播された「最初からウソだと分かっているのにアクセス稼ぎのために作られたネタニュース」という意味でのフェイクニュースを悪者扱いしている。まぁ、悪者的な存在に違いは無いのだけど。日本における悪質系まとめサイト、デマとめサイトと同じだからね。軸として。

ただ、以前にも紹介したけど、米大統領選挙の結果を左右した媒体・情報源はフェイクニュースではなく、騒いだテレビや新聞がメインであることは、複数の調査結果で明らかになっている。また、「フェイクニュースが選挙結果を左右した云々」というのなら、テレビや新聞は、そのフェイクニュースより影響力が無いことを自白したことにもなるのだけど、それでいいのかな。

さらに「フェイクニュース」の定義を思い返すと、「意図して誤情報を流す」との観点では、正しいか否かを意図的に精査せずに、真偽がうやむやなままの情報をそのまま流すのもフェイクニュースとしても、問題は無い気がする。そして偏向報道、偏見による印象操作の類も、「印象」という名の情報を意図的に盛っている、操作している以上、これもまたフェイクニュースに他ならない。

「語り手の想い」「社会責務」などの報道界隈に携わる面々の思惑が空回りするどころか偏向したものとなり、それが報道のあるべき姿をよじ曲げて、機関紙レベルの信ぴょう性に自ら追い込んでいる昨今。テレビドラマでよく見られた、新聞記事の文字を切り貼りして作り上げる脅迫状や怪文書と同じレベルにまで落ちてしまっている。

無論すべてがすべてそのレベルというわけじゃないけれど、その比率が増えてくると、全体としての信ぴょう性が同等に見られてしまうのは仕方が無い。食品の異物混入とか、食中毒の発生とか、商品に問題が生じたら生産販売を止め、その原因究明が成されるまで原則としてその生産は止まるよね? 原因が分からなければ同じ事は繰り返されるのだから。

ではなぜ、ニュースを売るメディア業界で、同じようなことが成されないのか。生死に関わるわけじゃないから? いやいや御冗談を。今や情報で人の命すら左右されうる時代だから。

で、発信側の思惑とか確信的利益とかを含めず、事実だけを淡々と伝えてほしい、まずはその基本部分からちゃんとできるように......というのは何度か言及しているのだけど。それを今やってるのって、実は手話ニュースではないかな、と。指摘されて、ああなるほどそれは確かにそうだな、と。


そういえば確かに前世紀、1970年代から80年代、もう少し90年代も入るかな、ぐらいの社会文化周りのリサーチをしていた時に、「テレビを見るとバカになる」なるフレーズがちらほらあった記憶がある。古本屋か何かの窓に大きくその言い回しが書かれた貼り紙が貼ってあり、「これはテレビにお客を取られた本屋さんなどが主張していたのかな」と思ったけれど。

もう少し大きなとらえ方で、テレビのバラエティ番組のマネをしたり、ずっとテレビの前に居て夢中になって勉強をしなくなるのを危惧した大人たちのお叱りの言葉でもあったのかな、と考えると道理は通る。もったいないお化けとか、夜に爪を切ると親の死に目に会えないとかいう話と同じなのかな、と。

ただ、昔はバラエティ番組などを指して「テレビを見ると」だったのが、今ではニュースバラエティをはじめとしたさまざまな情報番組を多分に意味するのだから、時代の流れというのはある意味恐ろしいなという感は否めない。


先日のBBCにおける偏向報道......というかこれもまたフェイクニュースなのだろうな、に関し、実際にインタビューを受けた一人の野上先生による、偏向報道を成したサイドの人達への感想とその対処法的なもの。処世術みたいなものかな。オールマイティというわけではないけど、参考になる切り口には違いないので、覚書も兼ねて。

タイトルにある通り、悪意を自認した上での行為ならば、それを指摘して認めさせ、悪意を良しとしない倫理観に訴えかけ、方向性を正すことができる。しかし悪意が無いどころか善意として悪業を成していた場合、そのような施策は不可能。「話せばわかる」「問答無用」がオチ。有名な某漫画のセリフ回し「言葉は通じるのに話が通じないという......これは奇妙な恐ろしさだった」で済めばよいけど、実害が多分に生じてしまう。

米Facebookは、サービス上で虚偽ニュースが拡散することを防ぐための対策の一環として、第三者機関が虚偽と判断した記事をシェアすると「Disputed(日本では「問題あり」)」と表示する機能を、まずは米国で"ローリングアウト"した。米Gizmodoなどが3月3日(現地時間)に報じた。

米大統領選挙周りで色々と米メディアがやらかしをし、それを誤魔化して人身御供として「偽情報を報道ニュースのように伝えた広告目的の情報発信源」を差し出し、これを元にフェイクニュースを糾弾すべきだ、インターネット上の情報はすべてだ、そして自分達がやってきたことは悪くない的な流れになっている。

で、今件のFacebookでの話に限っても、指摘の通りユーザー申請によるチェックとなれば、ぐだぐだな結果に陥る可能性は容易に想像ができる......というかそれしか考えられない。Facebookでもツイッターでも、一定数のフォロワーが居る人が何か指図をすれば、特定の相手を貶めることは容易にできてしまうってのは、すでに何度となく実証されている。それと同じようなことが行われないと断言は誰にもできない。

人は善意のみで生きているにあらず。さらに自らの善意が絶対的な善意とは限らず。

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