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ソーシャルメディアだってツールの一つでしかなく、万能なアイテムってわけでは無い。結局はそれを使う側の使い方次第で何の役にも立たないこともあれば、比類なき有益なものとなることもある。これはどんな道具にも言える事なんだけど。

で、メディアに出てくる専門家の類は、概してその肩書を使った役者だと思った方が正解だということが多い。メディアは事実を伝えるのではなく、ビジネスとして儲かる、客引きが良い、視聴者(現在の日本ならば多分に高齢者)ウケが良いものを情報として伝達するビジネスをしているだけに過ぎない(ので、報道の社会的意義は存在していないし、だからこそその意義を果たすのと引き換えに得られる特権のあれこれははく奪されなきゃいけないのだけど)。


本日まで限定公開されている怨み屋本舗でも触れられていたけど、情報ってのは基本的に受ける側の手の届く範囲で処理されて判断材料に使われるので、その届く範囲の材料が限定されていたり、さらにはそれを取捨選択する方法論を知らないと、情報を検証する機会は無いよね、という気がする......

...いや、検証する云々では無く、多分に検証そのものをしない、自分の観ている領域の、都合の良いもののみを鵜呑みにしている感じの方が強い。雑誌の商品レビューでお気に入りの評価者の話のみを信じ込んで、何でもその人の言う通りにしちゃう。テレビの某タレントみのなんちゃらさんが言ってたから、その情報は間違いないとか。色々と間違いをやらかしてしまう可能性も高いのだけど、その方が楽なので、そうしてしまう。

しかも昔はテレビとかラジオとか新聞といった、一方向性の情報につかるってのが人の日常生活における情報の接し方のメインだったから、そういう様式に慣れている。メディアが語る情報は全部真実。疑いを持つことがあっても、そういう考えは社会そのものを不安定な思いで見てしまうようになるからダメだ、的な。ああ、これ、単なる宗教じゃないか。


記者が勝手にインタビューの内容を自己解釈して文言を変えたり、さらには語っていないことが語られたことになっていたり。先日ちょいと話題になった「インタビューされたら記事の事前チェックが必要不可欠」という話が出てくるのも、こういうことが結構あるからってのが大きな要因だったりする。

話ことばをそのまま文字にしたら雑多なものになるし読み難くなるので、文章として仕立てる時に編集をしたり思い違いなどを修正するのは仕方が無い。それはむしろ記事構成では欠かせないもの。けれど、記者側の思惑や思い込みが勝手に盛り込まれていたりすると、当然激おこぷんぷん丸フルスロットルバージョンになるのは当然のお話。下手をするとインタビューを受けた側の信頼がどん底まで落ちてしまう。

引用元では「やっちゃいけないこと」とあるけど、これはもうそれ以前の常識レベルのお話。ではそういうことを平気でやらかすのは、常識を知らない人なのだろうか。多分そうなのだろう。

法人に属している記者やそのたぐいの人なら、そういうことをしちゃいけませんと上司なりから指導を受けているはずなのだけど、その類のも最近は無いのか、それとも組織単位でそれをアリとしてしまっているのか。全部が全部ってわけじゃないのだろうけど。

自衛手段としてはインタビューを受ける際に状況によってはこれを公開しますよと宣言した上で自分自身も録音などの記録を取っておくことかな、と。幸いなことに、こういう自前での記録も容易になったのが昨今の技術進歩ではある。


先日の【報道機関のアンケートのいい加減さ】を読み返している時にふと思った事をちらりと。大手の報道機関の調査に関して、携帯電話も対象にしたから世間一般の意見との差異は無いだろうというドヤ顔姿勢が見受けられるけど、設問を見るに誘導尋問というか、こういう答えが欲しくて問いを投げたのだなというのが丸わかりなものでしかなく、調査関連の専門家が見たら即時に不合格で再提出を食らうよなあという実情。長所しか例示せずに「これに賛成するか否か」と聞くってのはどういうことよ、反社会団体のインチキ街角アンケートとさほど違いは無いじゃん。

で、設問のいい加減さとは別に、今の報道機関の調査に関する精度への疑問点がこれ。書類提示・回収とか、調査員派遣による口頭インタビューでは無く、電話によるアンケートの場合、そもそもどれだけの人が出るのだろうか。平日日中なら出る人は限られる。土日とかでも若年層とかは自宅にいて電話に出るって人がどれだけいるのか。

報道機関のアンケートのいい加減さ

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先日のM氏の暴走ぶりで話題に上ることとなったサマータイム。都合よくアンケートの結果が複数社から出てきたのだけど、どうも調査方法がいかがわしい、じゃなくて疑わしいところがあるし、実際のところはどうなんだろうかなあ、ということで、頭の中で黒地に赤の例の文字が点滅しまくり状態。


ソーシャルメディアは意思表現のハードルを下げてくれるため、結果として個々の実情の可視化が進むことになった。結果として「正体見たり」という事例があちこちで生じている。ソーシャルメディアによって状況が変わったのではなく、元々そういう状況だったのが明らかになった、というところが実態に近いのだろう。

で、今件は毎度毎度のお話ではあるのだけど、報道界隈の記者先生の「自分が活動家と呼ばれるのは不本意である」的な御主張へのツッコミ。まぁ、ツッコミの通りで、まず記者とは事実を伝えることが第一義的な存在理由。

昨今の、ソーシャルメディアに顔を出す報道界隈の人に顕著なのだけど「わたくしのご意見をお聞きあそばせ、この愚民ども」的な態度が強くて、果たして報道の意味を分かっているのかなという強い疑問が生じている。まずは糸電話の役割を果たしませう、というところ。報道媒体を記者の論旨の拡散に流用したら、活動家による機関紙出版と同じでしかない。

そりゃ確かに人間だから、多少のぶれ、感情の入り混じりはある。けどそれは口にしたらいけない類のものだし、また、誤差の領域を超えたものであってはならない。人間だもの、みつを的な考えで許容できる領域のものだろうか、今の報道の仕事の実情は。

全国学力テストの意識調査で、新聞の読む頻度を尋ねたところ、小学生で6割、中学生では7割が読んでいなかった。他方、新聞を読む頻度が高いほど、国語、算数・数学、理科の平均正答率は高い割合を示した。

記事タイトルで「(新聞)読者は正答率アップ-学力テスト」という感じで、いかにも新聞を読むと学力テストで高い点が取れるよという表記を成し、本文でも似たような言い回しを使っている。これ、悪質な誘導的相関関係の誤解釈で、「新聞を読むと頭が良くなる」という話を証明した結果では無いのだよね。

お相撲さんはちゃんこを作る機会が多い。なにせ日々の食事はそれが多いし、若いお相撲さんはそういうことを任させるから(今では違うのかな)。だからといって、ちゃんこを作ると体重が100キロ超える場合が多いという結論にはならない。似たような話で、朝食を食べる人はテストの点数が良くなるという話もアレで、朝食を食べるような環境、生活習慣にある人は、規則正しい生活を送っている、送れる人が多いから、勉強もしっかりとやっている可能性が高く、勉強ができる人である場合が多い。朝食を食べれば頭が良くなるわけでは無い。

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