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通勤電車にかかわるリスク計算

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トリガーとなった某タブロイド紙の記事はさておくとして。富岳による計算を優先する形で色々と行われている新型コロナウイルス関連の検証の話。通勤電車の検証がないじゃないかという話があったけど、実際にはこんな感じで計算されて結果も出ている。窓開けは効果があるし、ドアが大きい車両で頻繁に開け閉めがされていればそれも大きく空気循環に効果をもたらすというもの。

ここでは直接検証・言及はされていなかったけど、基本的に通勤電車内はマスク装着で無言での利用となるから、感染リスクは一般に想像されているほど高くはないんだろうな、と。もちろんスットコな人が体調不良なのに利用したり、マスクもかけずに大声で話し合ってたら話は別だけど。だからこそ体に変調を覚えたら無理に出社せずに自宅で休んでろという話が重要性を帯びてくる。


これは繰り返し指摘しているのだけど、ネット上の文章・記事は掲載元の属性の色合いが薄れてしまう、その情報取得時の媒体振り分けが無効になってしまうので、信ぴょう性の偽装が容易になってしまうという問題がある。ポータルに意識的に転送して箔をつけることをビジネスとしている広告代理店的なものもあって大きな問題になったのは、数年前の話だったっけかな。ああ、あれはステマ記事の話で5年程前だったか(【Yahoo!ニュースがいわゆるステマ記事の徹底排除に本腰を見せ始めたとの話】)。

で、転送元のチョイスをしっかりとしておかないと、アレな話まで信ぴょう性の下駄をはかせてしまい、下駄そのものの品質が疑われてしまうよ、というもの。ツイートを見ると、ヤフードメインで書かれているから、たとえ引用元の媒体名が書かれていてもヤフー配信の信頼のおける記事だと思ってしまう人が出てくるだろうな、と。

この辺、ホント、厳正しないとマズいんだよね。アクセスが稼げるからという方向性を重視してしまうと、長期的には取り返しのつかない深手を負ってしまう。

「これがもし本当ならば」

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真偽が確認できない、発信者は確認できているかもしれないけどその内情を公言できないタイプの情報を持ってきて、「これがもし本当ならば」というエクスキューズを付け加えることで免罪符としてしまう話。

ネタ話とか妄想とか可能性の思考ゲーム的なもの、色々な状況を想定した事前準備のためのものならともかく、それを扇動ネタとして使うとか、自分の思惑の方向に世論を誘導するための材料とするのは、ジャーナリストではないのでは、という意見があって(引用不可との説明があったので、ややこしい形でツイートしなおした)。


5大新聞社の発行部数の記事の件。当方自身は一刻も早く情報をアップデートしたいのだけど、取材にもかかわらず一次発行元からはデータの提供を止められてしまったし(取材であろうとも会員で無いからダメだとの説明)、ならば以前の通りに読売新聞の広告部による公開情報でと思ったら年一のペースに変わってしまって、しかもそれも今回分が遅延している状態が続き、お手上げ状態。理不尽。

で、他の手は無いかと色々と画策しているのだけど、その一つが有価証券報告書の記述を使うというもの。新聞社のそれには自社の部数が明記されているので、これ以上に正しいものは無いはず。既存のデータとの連続性の心配はあるけど......

...と思って確認したら、日経新聞と朝日新聞はあったけど、毎日・読売・産経は皆無。結局、有価証券報告書から部数をたどるのは断念。


某政治家の体調不良、病症悪化はひとえにマスコミ勢の数年にわたる嫌がらせ的なジャーナリズム行動によるものでは、しかもその内容は多分に単なる因縁でしかなかったという指摘を受けて思ったこと。ジャーナリズムそのものの概念としては、悪しき体制・社会・仕組みに対し、民衆の益となるように事実を見い出し広げていくというものがある。ジャーナリズムは悪いものに対する刃である的な。今流行りの「鬼滅の刃」における鬼殺隊的なポジションで、ジャーナリストは皆が皆、柱を自称している感じ。

しかしながら昔はともかく、現状では、恐らくはもう十年単位での前から、益と害を天秤にかけた時に、害の方が思いっきり下がるような状況が生じていたような気がする。それがネットの普及とソーシャルメディアの浸透で情報の性質が大きく変化し、実情が明らかになってきた感じ。ネットでバズるとか、それがジャーナリズムの本質だ的な雰囲気が出て来たあたりから、その悪癖が目立つようになってきた感はある。

「マスコミはアンプ」とはよくぞいったもので、スピーカーとかと同じ感じ。そのアンプが自分の好みの音しか増幅しなかったり、さらには違う入力信号を出力しているというのが現状なんだよね。つまり本来の役割すら果たせず、壊れてしまっている。多少ならば仕方が無いな、その効用で故障部分のあきらめもつくけれど、その許容レベルをはるかに超えた壊れっぷりなのが実情。


個人的な印象というか感想としては、インフルエンザに対する首掛け札とか、EM菌レベルのお話のような気もするのだけど。フェイスシールドやマウスシールドをマスクの代用品として考えている、実用している人が多分にいて、困ってしまうというお話。見た目はカッコいいし相手に表情を見せることが出来るので特にビジュアルが求められる人には欠かせないもの的なポジションとなりつつあるのだけど、実のところフェイスシールドやマウスシールドはほとんど効果なし。一番なのはマスクとの重ねがけだけど、単独では意味がない。RPGならヘルメットだけつけて鎧や楯を持たずに冒険の旅に出るようなもの。


これは別の切り口から何度か当方も提言してはいるのだけど、新聞なりテレビなりが公的に色々と優遇されていたり特権を受給しているのは、相応の社会的責務を果たすという義務が遂行されることが前提だから。社会にプラスとなるようなことをするので、そのご褒美としてこういうことを公的にしてあげましょうという構造なわけ。

ところが新型コロナウイルスの件では、それと逆行するようなしぐさをしているのが実情。まぁ、新型コロナウイルスに限った話ではなく、例えば震災やら放射線関連では特にひどいことになっているけど。

で、結局そういう状況が「国の責任」ということなら、国としては堂々とメディアに対する行政指導をするか、国自身が独自のメディアを持つのが正しい選択ということになる。やるべきこともやらない、それを咎められるのはイヤだと反発する、独自に手段を持つのは危険だとか民業圧迫だとか、駄々こねをする子供と同レベルでしかない。

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