「メディア」が主張する特権と、それを主張するに足る責務の未遂行と

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取材した内容を記事にする時に、取材元に事前のチェックをしてもらうか否かについて。編集権やらジャーナリズムやらを掲げ、そんな必要はない、むしろしちゃいけない的な主張をする筋が少なくない。ただそれらの権利的なものは、ジャーナリズムなりメディアなりが求められている責務を果たし、その名前の定義にふさわしい状態であるからこそ主張し行使できるものであって、責務も果たさずに権利をぶん回すのは、ただ飯ぐらいと同じぐらいにふてぶてしいとしか表現することができない。

「取材先に事前に原稿は見せてはいけないというジャーナリズムの原則」云々に取材を受ける側が猛烈に反発をしているのは、ジャーナリズムの大原則である「ウソを書かない」を平気で破り、後に判明しても訂正もせずに責任を取らない事例が多々あるからに他ならない。義務も果たさず権利ばかりを求めているのでは、反発を喰らって当然。というより、大原則を守っていないのだから、その取材はジャーナリズム云々ですらないという解釈もできる。

ルールを守らないのだから警戒をし、備える手段を取るのは当然の話。恐らくは以前から大原則を守らない状況はあったのだろうけど、SNSによって取材を受ける側の実情が横に連なる形で伝えられるようになり、認識理解されるようになり、備えるようになったまでの話。

正直なところ、このレベルの現状認識すらできていないジャーナリズムって、いったい何なのだろうかという懸念が。いや、疑問の方が適切か。


見方を変えれば「原稿見せろ」と言われた時点で、信頼されていないという指摘は至極当然であるし、この類の話は遥か昔から言われていることなので、昔からの体質だったのだろう。それがバレて取材を受ける側にある立場の人たちの情報共有がされてきたまでの話。


前提ができていないからという問題を理解できていないのが、ジャーナリズムを自称するメディア界隈の人達の悲しいところ。こういう主張でジャーナリズム論として教鞭を取っているのは、どうしたもんだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2020年11月23日 07:58に書いた記事です。

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