小ネタの最近のブログ記事


テレビや漫画などに大人が文句をつける時の常套句の一つとして「子供がマネをしたらどうする」というものがある。テレビや漫画でやっているものが面白そうに見え、それが例え劇のようなもの、空想で作られたものであって現実のものではないのにもかかわらず、自分にもできると思ってやってしまい、大けがをしたり事故を起こしてしまうかもしれない。

やってよいことなのかしてはいけないことなのかを知らしめておいても、それでも憧れなどで真似をするのは、子供だからこその行動様式とでもいうのだろうか。常識や倫理観というストッパーがないので、その判断によるブレーキが利かず、テレビや漫画にあることをそのままできると信じてしまう。

だが最近は、いや恐らく一部は昔からあったのだろうけど、ネットの普及で情報の横のつながりが多次元的に生じるようになって、多々起きていると認識できるようになったのだろう、保護者・親の立場である大人が、同様のリスクを持っている。いや、情報の拡散力や実行動に移せる経済力を考えると、より危険な、深刻な問題に違いない。


都心部に住む人の調査で「自動車が無くても生活できる」という意見を見るたびに思うこと。都心部の家賃は高いので、その家賃で郊外ならば無茶苦茶広い場所が借りられるよというのはよく聞く話だけど、郊外では移動の足としての自動車必須というのもまた事実。「車が人権」と言うフレーズは言い得て妙で、「若者の自動車離れ」というのも結局のところ、都心部に住む人が多くなったからではという感もある。あるいは軽自動車は自動車扱いしていないとか。

で、家賃について単純に家賃のみではなく、それに付随する自動車代を合わせ考えると、都心部での家賃で郊外では広い家がというのはどうなんだろうか。


昔の新聞の印刷データをデータベース上に保存し、ランダムアクセスが可能なようにしておいて、自分の好きな日の新聞を出力できるようにする。海外では自社の新聞のデータベースという形で無料公開しているところも多いけど、日本では特別な日の新聞を有料で再配布(しかも一面とかの一部だけ)的な感じで提供されている。

それだけだとインパクトが弱いので例えば「自分の生まれた日の出来事を新聞でチェックしよう」的なコピーが使われるわけだけど......よく考えると、自分が生まれた日当日の新聞を取得しても、そこに書かれているのは早くて前日の出来事。下手をすると数日前の内容だったりする。それは確かに生まれた日の新聞かもしれないけど、生まれた日の出来事は分からない。つまり、翌日の新聞を確認した方が、生まれた日の出来事を知るのには適しているという次第。


先の住民票がないと住民扱いされない、認識されないから権利の主張もできないとの話に絡んで。すべてがすべてというわけではないけど、世の中にはこの類のスットコドッコイというか、言葉が通じても話が通じない人が確実に存在する。自分にその権利はないにもかかわらず、駄々をこねたりいい加減な主張をしたり、さらには自分は配慮されるべき存在だから配慮しろと主張して権利を行使しようとする人。

当方も大きな印象として残っているのは、震災後に水不足の類が生じた際に、本数制限のあるミネラルウォーターを「子供が必要だからもっと寄越せ」と逆切れで店員に食って掛かっていたご老体。店員に八つ当たりをしたところで水が沸いてくるわけではないし、証明するものを何ももっていないし、第一本当に子供がいたとしても配慮をする必要性はどこにもない。

サビまでの時間の短縮傾向

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例えば同人誌なんかだとサンプルとして提供されている数ページ分が、実は全体のクライマックスというか一番の見せ場であって、実際に本誌を買ってみたらサンプル以外はすべてオマケみたいだったという話はよくある。R18系動画とかゲームのサンプルソフトも然り。

サンプルでないにしても、初めの部分で相手をつかまないと、さくりと逃げてしまうという話はよくある。先日も某漫画でお茶のレシピがタイトルに上がっていたけど、3話まで見た時点でお茶の話がほとんど出てこなかったので止めたというのを見て、ああそういうことかと実感したり(実のところはもう少し先でお茶の話が本格的に出てくるし、ストーリーの基幹にもなっている)。

元々「つかみはOK」という有名なフレーズもあるし、最初の部分で引き留めができないと他のところへ流れてしまうという傾向は昔からある。例えば初代のガンダムで、数話をかけて主人公のアムロの生い立ちや周囲の生活環境を説明し、ガンダムやザクが出てくるのは5話ぐらいからだったら、どれだけの人が食いついていただろうか。

ただ必要な時間が短くなっているなというのには同意(元々この類のは経年調査されているはずもないので実数は確認できないけど)。コンテンツそのものの量が増え、しかもその利用時間が短くなっているため、言葉は悪いけど短気になっているという感じ。遊園地で待ち時間が長いアトラクションで待てるかどうか、他にもたくさんの面白いのがあれば、並ぶのは諦めて他のところに行ってしまうだろう。そのアトラクションがどうしても遊びたい対象でない限りは。

これって結局のところ、ネット上の記事の展開における方法論と何ら変わらない。ネット上の場合はさらに量が多いのと容易に代替しうるものばかりなので、タイトルの時点で読む・読まないが選択されてしまう。「つかみはOK」をタイトルでやらなきゃならなくなる。ラノベやなろう系の小説とかそのコミカライズ版も同様だろう。


どうしてもこれが欲しいなとずっと思っているもの。そのモチベーションが不意にすっと消える時がある。実際に手に取ることができた時に消えてしまうのがよくあるパターンだけど、手にしていなくても何故か「もういいや」と別人28号的な状況に陥ることが。

指摘されている通り、これ以上欲しがり続けていると自分がおかしくなってしまうとか、無駄すぎるのではとか、費用対効果を考えるとこれ以上願望を持ち続けても手に入れた時の効用では採算が取れないのではないだろうかと考え、欲しいという願望そのものがすっと消える。自己安全装置が働くとは言い得て妙。熱狂から醒めると表現すべきか。


年を取ると才能が枯れる。特に新しいものに手をつけて伸ばそうとする能力が欠けるという指摘。背負うものが多くなる、事前知識が増えて考察項目が増えるから、必然的にスピード感が落ちたりギャンブル的なものはし難くなるということで、結局は時間の経過と蓄積が少なからぬ影響しているのだけど。

もちろん身体的な理由として体力の低下とか視力の低下なども要因だったりする。あとは新陳代謝の低下とか回復力の低下。宿屋に一晩留まってもHPとMPが全回復までいかなかったりする、的な。これは生物学的なものだから仕方がない。

で、そういう変化によって、思考力が落ちてしまう。モチベが落ちたりするのも、結局自己満足してしまったり、手を伸ばせる領域が狭まってしまうから。だから、そういう環境下でも才能が枯れたような状況にならないためには、今まで以上にモチベーションを高めていく自分の意識が不可欠になる。だからといって薬に走るとかいうのは無しだけどね。結局は自分との戦いってことになるのだろうな。

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