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世の中に登場するすべてのゲームをプレイすることはかなわないから、当然他人が遊んでいても自分が遊ばない、遊べない作品は多分に出てくる。その作品に他人の意見のみをうのみにしたり、あるいは自分に手が届かない、または手にしないと判断した作品で皆が肯定しているからそれが悔しくて、「つまらない」と表現する層は一定数いる。具体的にどの程度かまでは測定することはかなわないのだけど、色々な掲示板やらブログやらソーシャルメディアの書き込みを読み通したり、アマゾンのコメントを読んでいると、その辺りはすごくよくわかる。さらに遊んではいるのだけど、他人の「面白かった」に共感できず、それが仲間外れにされてしまったような感を覚え、反発的にくそげー扱いしたり、(実のところ自分もそれなりに堪能しているはずなのに)つまらないと切って捨てるケースも少なくない。

その上、自分が「つまらない派」に属したら、周囲にもそれを伝播させて同意を求めたいとの意向を持つ場合も多分にある。これはこの作品はつまらないという自分の判断が間違っていないとの確認をしたいのだろう。仲間意識というか、これもまた認証欲求の一つなのかな。

別にこれは悪いことってわけじゃない。どのような判断をするかは人それぞれであるし、他人が面白いと思ったものを自分も同様に面白いと認識する決まりはない。自分の感性に正直になることは大切なこと(ただしそれを第三者に披露するか否かはまた別の問題。思うことと他人に伝えることはイコールではないのだから)。

「パックマン人力車(次項参照)」が今度は大阪に登場!通天閣付近の大阪情緒あふれる街並みを駆け抜けます。今回は、「たこ焼き」をパックマンが追いかけているような、大阪ならではのユニークなご当地演出をご用意。パックマンとたこ焼きが夢のコラボ?そんな、ユーモアたっぷりな「パックマン人力車 大阪出張編」にご期待下さい。なお、搭乗者は当日、現地、抽選会場にお集まりいただき、抽選で決定します。

以前試験運用としての浅草でのランニング情景を写真にとられて色々と話題に登り、その後実際にイベント運用をすることで大いに注目を集めた、パックマン型人力車。元々バンダイナムコのCI的な催しではあるのだけど、今度は大阪の通天閣周辺を走ることが決まったとの話。再びあの有志が見られるとはステキナイス。

詳細はリリース参照ということで...なんだけど、乗車方法が現地での抽選で決定というのがちょっと不安。山ほど集まって混乱するかもしれないなあ、という気がする。その辺りはプロが仕切っているので大丈夫とは思うのだけど。


少しでも時間のある時にお掃除をしていかないと部屋がモノで埋まってしまうってことで、ちまちまと休みの日は時間を取ってストック品の再整理。なんでこんなものを保存しておいたのだろう的なものとか、歴史的価値はあるのだろうけど換金化はどうすれば的なものとか、まあ色々と。

今回見つかったエアリスのに続きティファのフィギュアもその類。当時としては随分と斬新なスタイルのフィギュアだったけど、今となってはアクションフィギュアの先駆けだったのかなあという程度で、特に目新しいものでは無し。年代物には違いないけど、価値があるのか否かというと正直微妙。とはいえ廃棄するのはさすがにもったいない。


先日のお掃除の際に発掘したオールドアイテム。随分と汚れていた......というか油汚れがひどくて、洗剤をしみこませた雑巾でガッツリと拭いて、それでようやくここまできれいにできた。買った時の記憶が無いぐらいに古いものなので、なんで買ったかはまったく分からない。衝動買い的なものなのだろうなあ。

今流行りのアクションフィギュアの先駆けみたいなもので、ごく一部分が稼働するけど、実質的にはディスプレイをするだけのフィギュア。造形もぶっちゃけると今一つ二つで、エアリスの顔は鉄仮面状態。でも当時としては萌えたんだろうな。


競争の仕組みを作れば当然勝者と敗者が生まれ、その格差は開いていく。しかしそればかりに注力していくと、富める者と貧しい者の差がぐんぐんと拡大してしまう。実力重視で物事の仕組みを作ると、その物差しでの実力がない人がこぼれてしまうのは、そういう仕組みだから仕方が無いけれど、社会の仕組みをそればかりにしていると、差が極端なものとなってしまう。

しかし貧富格差の是正ばかりに注力をしてしまうと、今度は競争が生まれずに努力の姿勢を示そうとしなくなってしまう。やってもやらなくても同じリターンしか無いのなら、やるだけ無駄だよね、的な。加えるならば人は生命体として存在している以上、先に進む、進歩を求めるという生存の上で欠かせない本能を持っているので、それにすら反することになる。

で、結局のところ二者は絶妙なバランスとそれをつかさどる巧みな能力による判断や、優れた仕組みが必要なのだけど。その方法論の一つとしてゲーム的な場の仕組みがある。勝者・敗者の二択でオシマイなのではなく、第三者を用意し、その人たちにも間接的な報酬を与えることで、多くの人を競争と貧富格差においてバランスのとれたはかりの上にのせる事が出来る。


先日は某所に遠征に行き、せっかく都内に足を運んだのだからとお台場巡りなどをしたのたけど、その過程で見かけた、例のマリカー。任天堂からツッコミを受けて一時期は貸し出しの服をよりによってネズミーな方向にシフトして、ケンカ全面展開モードに突入かとすら感じたのだけど、見た限りでは例のスーパーな兄弟とかもばりばりいたのだよね。

任天堂は2月24日、公道カートとマリオのコスチュームをレンタルするサービス「マリカー」を提供するマリカー(東京都品川区)が、同社の著作権などを侵害しているとし、東京地裁に提訴したと発表した。侵害行為の差し止めと損害賠償を求めている。


任天堂はマリカーについて、(1)任天堂の著名ゲーム『マリオカート』の略称『マリカー』という標章を社名などに用いている、(2)公道カートレンタルの際、マリオなど著名なキャラのコスチュームを貸与した上で、コスチュームが写った画像や映像を任天堂の許諾なく宣伝・営業に利用している――と指摘。このような行為が同社に対する不正競争行為・著作権侵害行為に当たると主張している。


以前【お台場を爆走するマリオカートな人たちを目撃】で目撃情報の話をした、マリオカート的なカートをレンタルするサービス。任天堂も粋なビジネスに許可をしたなあと思いつつ、事故リスクを考えると良く許可したなとか、任天堂が許可するのならむしろ自前でやらないかなという疑問が脳内をランバダモードで踊っていたのだけど。

何の許可も得ていませんでしたー、的なのが実態でした。なんてこった。

......ということで正式には明日の21日に発売のVジャンプに遊戯王カードに関わる新ルールが発表されており、それを先行取得したショップが売買レートを大幅に変更したり、早売りを購入した個人がパニクっているというのが週末の動向。「暗黒の金曜日」とはよくぞいったものだけど、あながち間違っていないってのもまた事実。

法的な裏付けがあるわけではないけど、トレーディングカードは利用者にとっては通貨紙幣のようなもの。その価値が突然暴落するとなれば、それは戦後の新札・旧札の差し替え騒ぎ以上のものがある。えーと、話の限りでは一部カードに関して、紙切れ同然になるから、新旧札の差し替えより大変なのかな。


当方のような理解力と技術レベルでは「なんだかものすごい技術が手の届く範囲にまで下りてきて色々と面白い事が出来そうだ」とどきわく感を覚えさせるHoloLens。今現在手にして色々と作っている人は、そのわくわく感を一人でも多くの人に浸透させて同志にすることを目論んでいる(笑)のだから、上手く計略に乗せられた気もするのだけど、魂の底から湧き上がってくる感情を抑えきるのは不可能。すげー面白そう。

先日、テーブルの上にある円筒をすこーんと落とす仕組みは紹介したけれど、おそらくそれの発展版。円の向こうの世界に視界のみではあるけど行けるようにした感じ。しかもその円を自分の指で操作できる。

まぁこれもデモ的なものに違いなく、つけた本人にしか分からないビジュアルではあるのだけど、SF映画的なものだよね、まさに。


第一印象は「え、こんなことできるんだ」的な。民生機といってもまだまだ桁違いの価格帯にあるHoloLensだけど、早くも多種多様な未来への歩みが成され、あちこちのドアが開きつつある。幸いなのはこれらの躍動をソーシャルメディア経由で容易に触れることができってこと。例えば10年前ならこんなことは不可能だった。

既存のゲームでも操作系のウィンドウをモリモリ通常画面の外に投影し、それだけでなくその投影画面を見ながら操作ができる。指で指示したカーソルが移動しているので、カーソルレベルなら操作もできるのかな。さらにそのウィンドウも自由に移動させられる。これぞ未来。ウィンドウの狭さが事実上存在しなくなるので、メイン画面の大きささえ確保できれば、あとは全部外に放り出すことで本体の大きさを節約できる。


これは先日の「ツールも時代が流れていくとアイコンなどの象徴として残る」に通じる話かなあ、そして先行記事の「写メ」にも絡まるかなという感じはするケース。世間一般には「昔の、高齢者の遊び」っていうと、漫画などでよく目にする、コマやメンコ、けん玉、あやとり、かるた、缶蹴り、お手玉、凧揚げ、木登り、ケンケンパなどが挙げられるし、フリー素材系のイラスト集でも「子供の遊び」ではよく目に留まるものなんだけど、果たして昔の子供≒今の高齢者が押しなべて、いわゆる「昔の遊び」に慣れ親しんでいたのだろうか、という疑問が湧いてくる。

時の流れと共に高齢者に仕切り分けされる年齢層の生まれもどんどん年代が新しいものとなってくる。列挙されている「昔の遊び」って、果たしていつごろまで「その当時の子供にとって当たり前のもの」となるのだろう。

さらに「昔の遊び」って運動神経が必要なものも結構ある。高齢者にいきなりやってみてと言われてもムリだわな、それ。あやとりはあやとりで、手の細かい動きが必要になるので、これも結構難儀する。


現時点では価格が6ケタ台の開発者向け端末が流通しているのみで、おもちゃというよりはゴージャスでハイテクなテクノロジートイの感が強い、マイクロソフトのHoloLens。VRと概念は似ているけど、3Dホログラフィックと実社会のごちゃまぜ感を構築できるというもの。ホント、高値のおもちゃで、しかも今はまだほとんど手探り状態でしかない。ただこれって、雰囲気としてちょいと前に大きく時代を切り開いたキネクトと同じ香りを覚えるのだよね。高値なのが玉に瑕だけど。

で、その周りの話に合わせ、「あれって高価なおもちゃだよね」という話があるけど、それと共に「おもちゃと評価、揶揄されるのであれば合格、むしろフラグ」との指摘もある。ああ、それは確かにそうかもしれない。固定概念を軸にして考えた場合、おもちゃとの認識をされてしまうってことは、見方を変えれば今の概念からは外れている。明後日の方向への歩みかもしれないけど、次なる時代のステップの可能性も多分にある。そしてそのステップを手に入れる事が出来るかも。

例えとして挙げられているデジカメの話はよく聞くし、さらにそのデジカメが負けそうになっているスマホのデジカメ機能もまた然り。

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