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ワンダースワンFANとかも出てきた

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実は先週末のお掃除の際に出てきたけど写真を撮る暇が無くて、「おともだち☆ゴールド」の撮影の際に併せて撮った品々。サルベージしたアイテムとしてはどれほど価値があるのか未知数だけど、古いものに違いは無い。

ゲームギアとかセガサターンとかワンダースワンとか、往年のゲーム機の関連本となると、まずそのハード自身を知っているかどうかって問題があるからなあ。以前披露した記憶もあるけど、ワンダースワン本体もどこかに保管してあるので、合わせて買取に出した方がいいのだろう。


かつて仕事などで使う、あるいは使う時のために収集していた歴史系とか戦史系の資料も、言葉通りほこりをかぶっている状態ということもあり、色々と機会があって多分を処分しようということになっている。そのまま廃品回収に出してチリ紙と交換ってのが一番楽ではあるのだけど、資料性を考えると買取業者に手渡して流通させ、第三者の手に渡らせるのが有意義に違いない...

...ということなのだけど。例えばこの朝日ソノラマ系の戦史本。朝日ソノラマ自身はとっくの前に無くなっているし、どうやら刊行されていた本は版権があちこちに散らばった形となり、複数の出版社でタイトルなども変えたりしながら再出版されている模様。朝日ソノラマ本はもう絶版に違いないけど、中身そのものが継続されて出ているのなら、流通そのものはさほど気にしなくてもいいのかなあ、という気もする。


新本は出版社から取次経由で購入する本で(中には出版社から直で通販にて購入するのもあるけど)、古本は一度他人の手に渡ったものを主に古本屋経由で調達する。中には一度本屋に新本として配本されたけど売れなくて返本され、あるいは刷ったけど配本すらされずに出版社在庫だったものが調整された上で古本屋にまとめて流れる新古本なんてのも最近では増えている。

で、そのうち恐らくは新古本を意味するのだろうな...を古本と近しいネーミングでは色々と誤解があるだろうからという思惑らしいけど、とにかく新しい名前で売りに出しているのが、今回のバーゲンブック。

定価販売原則の出版物の在庫本を、出版社の判断で自由価格しているとあるけど、そういうことができるようになったのか。まぁ、古本の概念が「誰かが一度購入したもの」って意味合いが強いので、一度本屋に配本されたものであっても一般人には購入はまだされていないのだから、古本ではないと主張するのも分かるような。

「雑誌隊」なるもの

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雑誌を応援する組織とかいうのではなく、雑誌をまとめてファイルするための文房具が「雑誌隊」。なぜ「隊」という漢字を使うのかは不明だけど、ともかくそういう名前のもの。PLUSから発売されていたもので、雑誌の上下を織り込み部分からフックで引っ掛けてまとめてしまうという、やや強引な方法でのまとめツール。

フックは出したり付け替えたりできるもので、構造は結構シンプルではある。価格は...いくらぐらいだったかな。何しろ発売元のPLUSはもちろん、他のサイトでもほとんど記録が残っていない。メルカリか何かで出品されていたのがちらほら確認できる程度。話によるとこの類の文房具は頻繁にリニューアルされて昔のものはあっという間に絶版となってしまうので、記録に残りにくいのだそうな。

便利といえば便利なのだろうけど、今では似たような機能が期待できる文房具は山ほどあるし、そもそも雑誌をこうやって残しておく需要がどれほどあるかと考えると、保存しておく意味はあるのかな、と考えたりする。まあ、いくつか捨てずにクリーニングした上でしまっておこう。


すべての本が容易に代替できる手立てが用意されているのなら、わざわざ手元に残しておく必要は無い。無かったらお店で買えばいいじゃないの、っていうシンプルライフとか断捨離とかの話では良くある話。日常生活品とか消耗品では結構この概念は役だったりする。ストックヤードをお店にしてしまえ、代金は保管料のようなものだという感じかな。

でもその考えが通用しないものもある。その良い例が指摘されている本の類。本屋で買い直せばいい、電子書籍で調達すればいい。それは確かにそうなんだけど、耐久消費財のように代替品が山ほどあったり、現物がどこででもすぐに手に入るっていうものではなかったりする。本来はそうあるべきなんだけど。


正直なところ、当方も読書感想文の課題は好きではなかった。本を読むのは大好きだけど、その感想を具体的に文面として体現し、さらに読めるように構築するのがとても苦手だった。文字そのものが汚いし、文章の切り貼りができないので(消しゴムで消してやり直しはできるけど)、苦労をして自分のコンプレックスと戦いながらの作業は、苦役でしかなかった。今ではワープロソフトでカット&ペーストができるし、自分の文字の汚さと相対することが無いので、鉛筆で書かざるをえなかった時のうっ憤を晴らすがごとく、ばしばしとキーボードを叩いているけど。

で、今回の引用文を読んで、色々と思うところがあった。まずは指摘されている通り、読書感想文の類では指定された本を読まねばならないから、それが負担になっているという人もいるだろう、好きな作品にすればいいのではってのは、いい考えだな、と。一部ではすでにそういう方向のやり方をしているとの話もあるような記憶もあるのだけど。まぁ、要は教え手側の意図が「本を読んでその感想を文章として体現化させる能力を身に着けさせる」のか「指定された本を読ませたい」のか、どちらかが肝なんだろうな、と。

個人的には別に、ドラゴンボールだろうとナルトだろうと、感想文を書きたい本があるのなら、それはそれでいいのではないかなと思う。さすがに漫画は方向性が違ってくるので、書籍の必要はあるのだろうけど。


普段から物書きをしている人にとっては自分の文章が出版物の形として生成されるのは、一つのドリームカムズトゥルーだったりする。どれだけ紙媒体の相対的立ち位置が下がっても、やはり自分の書きものが本となるのは、一種のヘブン状態に違いない。それを類似的に体験できるのが昨今の小説サイト的なものではあるのだけど、それをもっとダイレクトに体感させてくれるサービスがあるという話。

ああ、確かにこれは、そういう感じを抱かせてくれるものではある。

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