休刊・廃刊・雑誌業界の最近のブログ記事


新本は出版社から取次経由で購入する本で(中には出版社から直で通販にて購入するのもあるけど)、古本は一度他人の手に渡ったものを主に古本屋経由で調達する。中には一度本屋に新本として配本されたけど売れなくて返本され、あるいは刷ったけど配本すらされずに出版社在庫だったものが調整された上で古本屋にまとめて流れる新古本なんてのも最近では増えている。

で、そのうち恐らくは新古本を意味するのだろうな...を古本と近しいネーミングでは色々と誤解があるだろうからという思惑らしいけど、とにかく新しい名前で売りに出しているのが、今回のバーゲンブック。

定価販売原則の出版物の在庫本を、出版社の判断で自由価格しているとあるけど、そういうことができるようになったのか。まぁ、古本の概念が「誰かが一度購入したもの」って意味合いが強いので、一度本屋に配本されたものであっても一般人には購入はまだされていないのだから、古本ではないと主張するのも分かるような。


漫画家にかかわらず雑誌掲載ののちに単行本化されるタイプの文筆界隈は、大体同じ構造を持っている。一応建前としては雑誌掲載時の原稿料が対価ではあるのだけど、その対価はおチープなものであって、そのおチープさを単行本化した時の印税でサポートしているという暗黙の了解的なものがある。原稿料が基本給で、印税がその他色々な手当てとか残業代とか。ごくまれにキャラクタグッズ化とかアニメ化した時にはボーナス的なもの。基本は原稿料と印税で生活するようなそろばん勘定になっている。原稿料だけではホント、原稿の原材料費レベルでしかない。

で、それは昔のように単行本化は当たり前、出たらそこそこ冊数が出るよねという環境下でのお話だったのだけど、今のように環境が大きく変わると、これまでの様式では色々とひずみが生じてくる。周辺環境が変われば仕組みも変えなきゃいけない、恐竜の絶滅説とか、OSのアップデートと同じ話。

ところが漫画とか雑誌掲載の執筆周りでは、この環境変化に伴う仕組みの再構築が追い付かない状態だったりする。既存の仕組みを使っているところが頑ななのも一因だけど。電子書籍は確かに新しい仕組みで、少なからぬ人の支えになっているけど、デジタル系の常のように二極化しやすいから(アマゾンのように底辺のものまで拾っていく仕組み(ロングテール)が多分となるので、組織側は儲かるけど、個々の存在側は超売れるものと売れないものとに分かれてしまう)、芽がどんどん育たずにしおれてしまう。まぁ、芽そのものが増えるので、見た目にはあまり変わらないよね、という感はあるけど。


本屋さんのプロであっても、探しているものが目の前にあるにもかかわらず、気が付かないことはある。これ、本に限らずよくある話で、抽象的な「幸せは目の前にあるのに気が付かないものなのだよ」というよかった話的なネタにもなる...けど今件はそういう方向ではなく、困ったものだよねどうしようかというお話。


理由はいくつかあるのだろう。想定していた場所に無かったので映像としては認識できてもそれが探しているものとイコールであるとの確認ができない、雑多な情報として処理してしまう。ゴミの中にお金とかお宝アイテムがあっても、つい見逃してしまう、的な。まぁ、色々と経験していたり訓練を詰めば、この類の確率は下げることは不可能ではないのだけど。そこまでやる必要は無いし。


コモディティってのは一般的な商品のことで、誰もが容易に手に入るような、メーカーが違ってもあまり差異を覚えないあれこれを意味する。コンビニやスーパーでさくりと手に入るナショナルブランドのカップ麺とか、しょう油とかキャベツとか、せっけんや歯ブラシのようなもの。元々コモディティ化ってのも経済学的な言葉で、買い手から見ればどこの商品でもさほど変わりが無いやと認識されてしまう類のモノ。

今件引用元ではウェブ漫画がそれに該当するようになったと指摘している。無料だから取得ハードルは極めて低い。各サイトでは多様な連載が掲載されているし、集約サイトならそれらを一気にまとめて精査できる。よほど飛びぬけたもの、目に留まったもの、好きなもので無い限り、たくさんあってそれなりに目を通してもいいかなというものの集合体となり、相対的に一つ一つの価値が落ちてしまう。

個々の漫画を気に入ってブックマークしていくと、「これまでは雑誌でまとめて買ってその中からお気に入りのを読んでいく」だったのが「これからは自分の好きなものだけを選んでチェックできる」ようになり、便利だな、お寿司ならばセットバックで買っていたものを一品ずつ頼めるカウンターでの回らないお寿司のようだなとなり、いい時代になったと思っていたのだけど、気が付けばそのブックマークも山ほどのものとなり、なんか時間がある時に巡回すればいいかな、となってしまう。全体的に。

バイキング料理はたまに食べられるから嬉しいのであって、あれが毎日の食事として用意されると、並べられている料理全体への目新しさ、注力が失われてしまう。いつだって容易に手に入るものは、一つ一つへの価値が思いっきり下がってしまうことをも意味する。近所に有名どころの観光地があると、いつでもいけるから、堪能できるからと、かえって足を運ばない、「すぐにいける」という状態だけで満足してしまうのと似ている。あるいは、電車のつり革広告で雑誌のあれこれのダイジェストを目にしていると、雑誌そのものを買わなくてもいいかなと思ってしまうようなものかも。


「BE・LOVE」の月刊化はちょいと前から伝えられていたのだけど、タイミング的にちょうど合わせてきたなということで、合わせて覚書。

公式リリースとか中の人の言及を見ても、なぜ月二回刊だったのが月刊になったかについて明瞭な説明は無いのだけど、逆のパターンが生じる理由を考えれば容易に理解はできるはず。要は、月二回刊にするほどの需要が無くなって来たということなのだろう。無論他にも作品の傾向的に月二回ではペースが早すぎるというのもあるかもしれないけど、そういう場合は大抵「雑誌に合わせろ」ということなるから理由には成り難い。もちろん週刊誌がエライ、月刊誌はダメだっていうわけじゃないけどね。


先行する【紙媒体の本の販売金額がピークの半分割れを起こしたという話】に連なるお話。紙媒体の本の売上が落ちているってのは覆しようもない事実ではあるけど、それは読書、さらには文章を読んでいくという行動性向に対して提供される選択肢が増えて、購読の選択肢を選ぶ人が減ったまでの話。飛行機や電車、自動車が普及しても「なぜ馬車や駕籠を使わないんだ」と憤慨するようなもの。それって違うよね、的な。

環境が変わってきているのなら、それに対応して進化しなければ生き残れない。そのままの体質を維持したい気持ちは分かるけど、それでは化石化してしまう。台風で水が増してきても意固地にその場に居続けるようなものだ。

騒いでいれば誰かが何とかしてくれるだろうって考えが許されるのは子供までのお話。周辺環境が変わってきて自分の立場が苦しくなってきたら、他人にその責や対応を押し付けるのは、気が楽だけど、他に選択肢があるのならお客は離れていくばかり。

出版科学研究所(東京・新宿)は25日、2018年の紙の出版販売額が約1兆2800億円台になりそうだと発表した。前年実績から6.4%の減少で、14年連続で前年実績を下回る。ピークだった1996年(2兆6563億円)の半分以下に落ち込む見通しだ。雑誌や漫画など出版物の販売低迷に歯止めがかからない状況が続いている。

日版の「出版物販売額の実態」最新版によれば2017年度時点で紙媒体の販売額は1兆6223億円ですが、それとは別に電子出版の市場が2424億円との推計が出ています。もっとも電子出版の市場分を足しても、出版金額の総額が漸減していることに変わりはありません。


また、電子出版を加えない総額では2006年度の2兆4934億円がピークで、2017年度は35%減となります。

ただし今件は「市場」の動向であり、電子媒体も含めた出版物、さらには文字媒体そのものの需要が落ち込んでいるわけでは無いことに注意が必要です。安価、さらには無料の文字媒体が浸透したことで、人々が文字に、文章に触れる機会はむしろ増えているかもしれません。娯楽としての「読書」が衰退しているわけでは無いのです。


「半分に減った」と書くと短いフレーズでショッキングに聞こえるパワーワードと化すので喜んで使って集客になるよねー的なゲス的な話が多分に脳内をエグザイル状態となるのだけど。ヤフーのニュースの方でコメントした通り、本の提供スタイルが紙媒体だけじゃなくなったので、紙媒体単体の販売額が減っていくのは当然の話。また、本というか文字の集合による文を読むというスタイルが多様化し、既存の収益スタイルでは市場を構成しにくい部分が拡大して、そちらに「読書」の需要が食われているってのもある。

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