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報道、特に新聞に関わる人たちの実情を大いに認識させてくれるようになった、可視化性もまたソーシャルメディアの特性の一つ。意思表現ハードルが低いので、ついつい本音が出てしまう。自分のノートの走り書き、居酒屋での戯言のつもりで、不特定多数への、世界に向けた情報発信であることを認識しきれていない。アルタの電光掲示板に向けて語っているよりも大きな発信力になっているというのに。

先日、イギリスのボリスジョンソン氏(ぱっと見だとトランプ氏に似てるんだよなあ)が河野外務大臣から提供された福島の桃ジュースを飲んだツイートに、指摘の通りに心無いリプライが多数見受けられる。そのリプライを受けてのお話。

個人的にはちょいと違う解釈をしている。昔からこのような不逞の輩は一定率存在していて、今と同じように不適な発言をしていたのだろう。ただそれが、拡散力を持たず、発信する情報の射程も短く、当事者に投げかけられることもなかった。テレビに向かって愚痴をこぼす、そのような程度。

しかし現在ではソーシャルメディアを使って世界に向けて発信ができるし(受信をするか否かは人それぞれ)、当事者に直接投げかけることもできるようになった。昔ならば愚痴をチラシの裏に書いてすっきりという程度だったのが、今ではその愚痴を書いたチラシを直接本人の家に貼り付け、貼られたチラシを不特定多数が閲覧できるような状態。

つまみ食い読みとその対策と

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先日記事にした「スマホの普及でますますつまみ食い文化が浸透している」という話をしたけど、それと連なるお話。元々文章を読むプロセスでは、文中の重要なキーワードを中心に読み通すという閲読スタイルが多かれ少なかれ誰にでも身についているのだけど、中にはそれが度を越している、文脈を容易に違えるレベルでやってしまう人もいる。スマホのようなざっと読み、限られた文章内で素早く読むことを求められるような媒体での閲読に慣れてくると、その傾向が強くなる。昔流行った速読もそれに近いやり方ではあったのだけど。

で、そのつまみ食い的な読み方において、自分が気に入らない、嫌悪したくなる、自分の思っている事を否定するような内容に関しては、深層心理的な部分で除いてしまう傾向が誰にでもある。それが一定領域を超えたレベルになると、いくら間違いを訂正するべく文書を出したり話を伝えても、上手くその意図が伝わらないことになる。

良いところ取りは自分を心地よくする一つの方法論かもしれないけれど、事実と違える情報を取得してしまい、それを信奉することにもなりかねない。「赤信号はみんなで渡れば怖くないというネタ話があるけど、あれは単なるジョークであり、赤信号は渡っちゃいけないのだからね」と伝えても、前の部分だけ認識して「赤信号は渡っていいんだ」と理解しかねない。そういう事がありうるから怖いのだな。

言葉のやり取りと相手の認識と

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先行記事の自動翻訳で、ちょいと変な翻訳結果が出てそれを笑うのはいいけれど、本物の人間がウケを狙うためではなくて、真剣に意思疎通を考えた上で、言葉が足りなかったり習得がまだ完璧でなくて片言の語りになっている様子を見て、それをあざ笑う、卑下することがいかに愚かな事か。それが例えばスピーチコンテストの場で、語りの技術を成す場であるのならいざ知らず。

指摘のある通り逆の立場ならどうなんだろうか、それを考えればすぐに理解はできるはず。エラー、イレギュラー、期待した挙動と異なる結果に面白みを感じるのは人の本質の一つではあるけど、それをもし覚えたとしても、対象に向けて表現するのは失礼でしかなく、それを体現化するのは大人のやることではない。


先行する記事【定期更新記事:電通・博報堂売上動向(月次)(電通・博報堂)】で触れている出羽守とも関連する話で。いわゆるネタのリサイクルというものなんだけど、ネタとそれへのツッコミとの間隔が短くなってきたのはよいのだけど(デマカセが広まる期間が圧縮される)、ネタが定期的に繰り返し、下手をすると同じソースでリサイクルされるってのはタチが悪い。元々ステルスマーケティングな手法と似通っているものではあるけど、こういう悪質なデマに使われるのはねえ......。


パソコン通信、あるいはPHSや従来型携帯電話からスマートフォンでインターネットの世界にがっつりとのめり込み、掲示板からブログやソーシャルメディアのような意思表現のハードルが低い世界に慣れた人にはあまりピンとこないかもしれないけど。ニュージェネレーションというか、物心ついた時からスマホやタブレットに触れて、ネットを使って意思表現をするのが当たり前となっている人達には、自分の素性をネット上に書き込むのがマズい行動だというのが分からない。

動画を見ても自分と同じぐらいの年齢の人がユーチューバーとして色々と演技をしたり商品紹介をしている。ゲームの実況も多くの人がやっているし、ソーシャルメディアでも自分の知っている有名人が色々と語り掛けている。自分も同じように色々と披露して何が問題なのだろう。そう思うのも無理はない。いや、思うという積極的な気づきすらなく、それが当たり前だという認識なのかもしれない。皆がお箸でご飯を食べているから自分も箸を使ってみよう、友達がゲームをしているから自分もやってみたい。それぐらいの感覚。

けれど、同じようなことをやって、どういうことが生じ得るのか、画面の向こうで動いている人達は、それを教えてはくれない。だから周囲の人、特に保護者はそれを教え諭す必要がある。ただ、単に「ダメだといったらダメ」というように、闇雲に止めても納得はしない。それが決まりだから、ルールだからということでは、子供は逆に反発しかねない。


当方自宅の固定電話には電話がかかってくることはほとんどない...けど、土日になると少なからず営業電話がかかってくる。携帯電話には何度かあったけど、ザッケンナゴルァですぐにぶちっと切った次第。かけてる方は仕事なんだからとナアナアって感じの人もいるけど、仕事ならば相手にどれだけ迷惑をかけてもよいのかということになるし、その許容はスパムメールを認めるのと何ら変わりは無し。

災害への心構えをゲームで学ぶ

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Jアラートの時も緊急地震速報の時も「慣れたらかえって危険では」的な話もあったけど、それは舐めてしまうからであって、対応に慣れるのならばむしろそれはあるべき姿というか、好ましい結果ではないのだろうか、という想いと連なる形で。

多種多様な災害に対し、どのような姿勢を見せていかなる適切な場所に避難すればよいのか、それをゲームの形で伝えるという仕組み。ああ、これは実に素晴らしいし、先日ちらりと触れたような記憶もあるのだけど、VRと組み合わせて疑似体験型のゲームにするともっといいのかもしれないなあ、と。

大人はある程度知識や経験があるから、瞬時の対応ができるかもしれないけど、子供はその心構えも予備知識もなく、パニックに陥ってしまう。たとえゲームでも、対応を学んで経験として覚えておけば、真っ新な経験の上で慌ててしまうという事態は避けられる。「ここ、進研ゼミでやったところだ!」的な感じ。

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