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話術の一つ、というかテクニックではあるけど、多用したり頼り過ぎるとかえって陳腐になるから要注意なお話。人に何かを伝える際に、「たった一つの」という言い回しでもよく知られる1つだけを提示すると強力なインパクトはあるのだけど、同時に胡散臭さも強くなる。2つでは少々心もとない。しかし4つ5つとなるとかえって多すぎる、分散してしまう感はある。そこで3つが良いよね、ということ。元々なぜか日本では3という数字は縁起の良いもの的に扱われているし。

で、実際に3つもない場合は、言葉は悪いけど水増してしまおうということ。種明かしをされればなぁんだと思ってしまうけど、理屈は分かる。


敬語は一般的に自分の目上の人に対して使うと教えられているけど、指摘されてみると確かにそのような使い方もあり、なぜそう使うかと考えると、やはり指摘の通り相手との距離感を意味するものだなという感はある。怒った時や相手と距離を置きたい時も敬語を使うってのは結構あるよね。逆にタメ口ってのはそれなりに親しい人、つまり(物理的ではなく心境的に)距離が近い人でないとできないもの。

ロートルの弊害と社会構造との関係

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老が...なる言葉は状況を表すのには適しているものの、印象というか感情的な読まれ方が強すぎてそれがかえって弊害となってしまうので、「時代の流れによる環境変化に対応できない適応不全症候群」という実情を説明した言い回しを考えて辞書登録したのだけど、それが大元の言葉を想起するには至りにくいし、なにより長すぎるということで、色々と考え探していたところ、「ロートル」なる言葉があったよという話。これなら印象面が前に出過ぎて本題に入れないようなこともなくなる。

で、そのロートルに関しては昔から存在していたし、確率論的に一定数は発生しうるのだから、人が長生きすればするほど数も増えてくるのは致し方ない。昔話に登場する意地悪爺さんみたいなものだ。


小中高校生へのスマホ浸透は加速度的なものとなっているけど、小中学校は天井感があるかな...という個人的感想を抱きつつ、昨今の子供達のスマホ事情。アンケートの様式が保護者のネット経由であり、世帯ベースでの技術上のリテラシーによる偏りが生じうるのと、調査対象母集団数がやや少なめなので参考値レベルということで、こちらで覚え書き。

スマホや従来型携帯電話の保有状況は大よそ想像、あるいは他の調査結果と同じ。中学生でスマホが過半数ってのはやや驚きかもしれない。


直前の総菜周りの話に続き、新社会人に贈る言葉的なお話。未来に対する予想観測と、それに対する備えはいかなる時にも必要。保険概念もまさにその通りで、無策のまま突っ走るとそれが体現化した時に大打撃を受けてしまう。色々な可能性、選択肢を想起し、期待値を概念レベルで良いから算出し、最良のものを選び、また悪しきものの可能性への対策を講じておく。危険分散的な発想も似たようなものかな。学校で習うことはないかもしれないけど、必要な考え方。

一方で「良くないことが起きるかも、起きたらどうする」ってのはインパクトが大きいことから、その想起に捕らわれてしまうことがある。報道周りで何度となく触れている「ネガティブな情報の方が心をつかみやすい。命に直接関わり合いがある、リスクが生じやすいがために、本能的に気を寄せてしまうから」って感じのもの。本能故に仕方がないのだけど、それにとらわれ過ぎると足をつかまれて身動きが取れなくなる。鬱症状に陥る要因の一つがまさにこれ。

これを自分自身で無く他人にも向ける、というよりは他人に成していく人が結構いる。今回の指摘はまさにそれで、心が折れそうになるってのもその通り。


「話せばわかる」「問答無用」ってのは五・一五事件でのやり取りで有名だけど(本当はもう少し長い)、世の中には道理が通らない、いや、自分の中の道理を真理と断じて、事実や他の人の真理(しかも自身の真理と相反せずに共存できる)の存在を認めない人がいる。いる、どころか相当数に登る。All or Nothingではなく、ある項目ではそのようなことは無いとする人でも、別の特定項目では「話せばわかる」が通用しない人も少なくない。

さらに文脈の理解ができるか否かとなると、多数派か否かはともかく、相当数いることは間違いない。ツイッターってのは原則140文字だから、その中での言葉の意味合いを把握すればよいのだけど、それすらできない人がいる。また、1ツイートで首を傾げる内容だった場合、そのアカウントをたどって過去の発言を確認したり、せめて前後のつながりを検証するという、ツイッターに限らず会話なり閲読をする際には欠かせないプロセスをふっ飛ばして、条件反射をするパターンも少なくない。

自分の常識、さらには世間一般の常識がすべての人に当てはまるとは限らない。これを理解......というか概念として把握しておくと、ずいぶんと気は楽になる。例の「お前が思うのならそうなんだろう、お前の中ではな」を返答として使えばよいケースといえるかな。


先日の【「共謀罪法案」と「テロ準備罪法案」と正しく伝える報道の責務と】で改めて思ったこと。「分かりやすいと正しいは別物」にも通じる話であり、一部界隈が積極的に用いる方法論でもあるのだけど。本来ある正式名に対し、発する側・所有側が用いている略名や通称名では無く、対象の印象を特定方向、意図する方向に錯誤させるための別称を創作し、それを使うってのは、報道やその方面の専門家としてはいかがなものかなと思う次第。「戦争法」なんてのも良い例だよね。


先行記事【「社会意識に関する世論調査」で「社会に満足」が過去最高値を示したことと、官公庁の報道を即時ウェブに反映させてほしい件と】で内閣府の世論調査に関する言及をしたけど、参照元の記事にもオーサー権限でのコメントをしている。内容に関しては月曜以降のリリースのウェブ上への提供が無ければできないので、一般のコメントで殺到している「どこで調査したのか」「調査対象に偏りがある」「エイプリルフールのネタ」「疑わしい」などの話に対し、調査要綱の概況をこれまでの同一調査を基に説明し、あんたらが言ってる陰謀論やら偏向調査結果じゃないよ、第一それをいうのなら比較対象となっている過去の調査もすべて同じ偏向調査となるよね、的なツッコミをした次第。

で、このコメント群を読み返して思ったのは、本当にそう思っているのか否か。心底思っているのなら当方のように調査対象がどのようなものかを実際に調べればすぐに分かる。にも関わらずこのような形で不特定多数に向けて陰謀論的な話を公知するのは、指摘した3パターンのいずれかかなあ、と結論付けざるを得なかったりする。


ネットの情報はクローズドな設定をしていない限り、環境さえ用意すれば誰もが自由に取得できるのだけど、すべての情報が即時に全部自分の手元に入ってくるわけじゃなくて、自分で取捨選択、検索探知して持ってくる必要がある。なので、ツイッターだろうがブログだろうがソーシャルメディアだろうが、存在している情報はすべてオープンではあるのだけど、それがすべて把握されているわけではないのも同意となる。グーグルマップではデータ公開されている部分はすべて閲覧できるけど、世界中の隅から隅まで細かく見定めた人は居ないって例えれば分かりやすいかな。

ツイッターが隔絶された云々ってのも、その情報の概念の把握の仕方のミス的な発想でしかない。


例の「レイ●ンのサングラス本日限りで云々」に代表されるような、スパムアプリに騙されて、勝手に変なツイートをしてしまった、つまり自分のツイッターアカウントがのっとられてしまったという例は少なからずある。で、そうなった場合、どうすれば状況復帰ができるのか、学校では教えてくれなかったこともあり(当然だ)、パニックになる人も少なくない。一番楽なのはそののっとられたアカウントを放棄して(つまりもう管理しない)新しいアカウントを再作成して、そちらを利用するという方法。自転車が壊れたら直さないで捨てて、新しいものを買う、みたいな感じ。

まぁ、直す云々が分からなければそれが一番楽なのだけど、よほど変なことをしない限りは、今回指摘されている方法でオッケー。連動する奇妙なアプリを取り外すだけでオッケー。ただ最近は総当たりによるパスワード盗取でのアクセス乗っ取りの可能性も否定できないので、このヤバイアプリの連係解除をした後に、パスワードの変更をもしておいた方が確実。

また、このヤバイアプリが他の普通のアプリと同じ名前・同じアイコンをしている可能性もある。その時は同じ名前の普通のアプリと比較して、日付が新しい方がニセモノ。


これはプライバシーの保護とかセキュリティの面でとても大切なお話。ツイッターは不特定多数へ向けた意思表示のハードルがやたらと低いので、それこそ思っていることをそのままツイートしてしまいがちだけど、それはすなわち個人情報やプライベートなあれこれを大衆に向けて開示してしまうことでもある。それが楽しいんじゃん、それこそが醍醐味じゃんといわれればそれまでなんだけど、それは同時に他人がその情報をもとに色々としでかしてしまう、そのきっかけとなるリスクもはらんでいることに気を付けねばならない。

アイドルがお忍びでちょぃとした場所に足を運ぶ際に、事前に、あるいは現地でリアルタイムにツイートをして、その場が分かるようにしたら、間違いなくその場所は大勢の人が押し寄せて大変なことになる。対象がアイドルでなくとも、何かのリスクが発生する可能性は否定できない。YouTuberが名前バレをしたら色々と嫌がらせを受けるようになったってのは少なからず聞く話ではある。


これは実物を見れば一目で分かるのだけど、経産省や厚労省などで調査結果や研究発表が行われる際に、概要的な説明のために添付される、パワーポイントによって作成されたチラシのような概要図版が、1ページ、あるいは数ページ程度でぎっしりと図解入りで、しかもそれなりにまとまった形で説明されている図版のことを指す。結局のところ詳細資料に目を通さないと実情は分からないのだけど、実情を分からなくてもいいからざっと知りたいという時には、非常に便利な図......

......なんだけど、見るたびに「作るの大変だよな」という感はある。まるでじぐぞーパズルのようにすき間なく詰められた文字や図版には、一種の芸術美学すら覚えてしまう。そう、あれだ。電車のつり革広告と同じコンセプトなんだな。

そしてそれがいったい何に例えられるかという話で「曼荼羅」ってのは実に分かりやすい表現に違いない。あるいは古代遺跡の壁画。うん、人類が行き着くところってのは結局皆同じなのだな。

で。霞が関、つまり官公庁の資料でその類のをよく見かけるから「霞が関曼荼羅」。何となく納得は行く。

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