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現状はこのような状態にある、それはよろしくない・自分は好まない、だからその状態を解消するためにしかるべき行動をとってほしい。ある意味では直接行動の命令をしているわけではなく、間接的な言い回しで優しく命じているとの解釈もできるけど、そこまでの配慮を成した上での発言というよりは、むしろ責任を逃れるための方法論とも読み解ける。

そして指摘の通り、この手法に早くから慣れてしまうとしまいには、自分が何か言わなくても相手は自分の不満に思うことに関して気が付き、対応をしなければいけないと考えるようになる。召使にすべてのことをやらせるようなご主人様のような姿勢。本当に召使がいる主人の立場ならそれでも良いのだけど、普通の人における対人コミュニケーションでは失格。常日頃からそのような対応をする癖がついてしまうと、他人との距離が開いてしまう。

以前「具体的な指図をしないと分からない。語り手の脳内での希望は言葉にしないと伝わらない」という話をしたけど、それとも近しいところがある。


これは以前にも似たような話をした記憶もあるのだけど、子供がいやがることに対して保護者がウソいつわりを語って誤魔化して、その場しのぎをしてしまうと、大よそは逆効果になってしまう。さらに保護者、大人全体への不信感を強いものとする。正しい事を分かりやすくしっかりと伝え、ネガティブなものがあってもそれが必要であること、何のためにしなければならないのかを教え諭さねばいけない。それが保護者とのしての役割だったりする(なんか昨今の報道界隈の「分かりやすく正しいことを教える」話と似通ってるけど、まさにそんなかんじ)。


インターネットが情報の価値を大きく変えた理由はいくつかあるけど、その要素として重要なのが「距離感を無くした」「蓄積が容易になった」「時系列を超えて検索と精査が可能になった」がある。巨大な図書の棚を背景にニヤリとほほ笑む研究者のようなことをしなくても、過去の情報をたどることを容易にさせてくれた。もちろん情報の統括、検索、精査にはそれなりの知識と経験とノウハウが必要なのだけど、かつてのような財力も場所も時間も記憶力も要らず、ハードルは思いっきり下がっている。

かつてのような、情報がつかみどころのないような、ふわふわとした感じで、それっぽいイメージ的なものを覚えている程度で時間が流れていく環境は、すでに無いと言っても良い。


交通機関、とりわけ鉄道で遅延や運休が生じると、怒りを鉄道関係者にぶつける人を見受ける。その人当人が何らかのしでかしをしたのならいざ知らず、関係者に八つ当たりをしたところで事態が改善されるわけでは無い。関係者だから意見は黙って聞き入れるべきだ、糾弾されても大人しく従うべきだという主張もあるけど、少なくとも冷静な目で、客観的に見ると、そのような行為はむしろ恥ずべきもの、忌避すべきものとして認識してしまう。

感情論としては自分の思う通りにならなかった、しかも自分以外の問題で、となると、怒りゲージが上昇して発散させたい、しかも発散させる対象として適切と自分が認識できる相手が目の前にあれば、怒りをぶつけたくなるのも理解できる。しかしそれを体現化したのでは、理知的な大人では無い。第一その行為をして改善されるのは、自分の怒りの心境だけ。第一、天災や気象状況による遅延の発生の場合、責そのものも交通機関側には無い。

6月21日午前11時50分、Twitterアカウント「公明党広報」@komei_koho(認証済み)が投稿したツイートが物議を醸している

先日某政党の公式ツイッターアカウントがツイートした内容に関して、「物議をかもしている」との話。詳細は本文で確認してほしいけど、要はある別の党を糾弾するような内容で、しかもそれがお世辞にも上品とは言い難い言い回し位によるもの。説明によれば元々同党の機関紙による記事をべた写ししたとのこと。

で。行儀の良し悪しでいえば良くないよね、口をゆがめてしまうような内容だよね、というのは否定しないのだけど。今件を「物議をかもす」として記事化してさらに否定的、該当発言を差し控えるべき的な切り口で云々するのはどうなのかな、という感もある。

「6月21日15時段階で1600回以上、リツイートされている」とあるから、記事執筆時点でこのリツイート数にて「物議をかもす」と判断したことになるのだけど、その基準による掲載だとすると、他の事例が毎日ダース単位で出てくるという気はするのだけどね。


具体的な作品を挙げるのはやめておくけれど、最近ツイッターのタイムライン上に、夫婦間の話として「夫は●×をしてくれない」「妻がこれをしてほしいと頼んだのに、夫は思った通りの事をしてくれない」的な小話や漫画がよく登るようになった。情報発信のハードルが下がったことや、立場を逆にした話は往々にしてバッシングの対象となりうるので表現しにくいってのがあるのだろうけど。

で、いくつかの作品やネタを見るにつけ、ちょいと気が付いたことがある。文章なり絵なりで表現した、訴えたいことについて、対象となる人物本人に伝えているのだろうか。思ってはいるけど伝えずに、文字や絵で発散しているだけなのだろうか。あるいは指摘の通り、伝えるべき情報が不足しているだけなのかもしれない。

情報のアップデートは欠かせない

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以前別の視点で言及した記憶もあるのだけど、昔と比べて社会の変革、環境変化が加速している感は強い。半世紀前の10年間と、今の10年間では、社会の変化の違いは大いに違う。どんどんスピードが速くなっている。昔の感覚で「十年ひと昔」ってのは多分通用しない。良くて半分の5年、下手すると3年ぐらいかもしれない。

そのような状況下で、こんな指摘をされると、ああ確かにそうだなと頷かざるを得ない。この類の話は昔の漫画や小説の復刻版ではよくあるもので、読んでいくうちに何となく違和感を覚えたりするものだ。今の社会常識で読んでいるので、何か軸がずれている、別世界のような雰囲気を覚えるのだな。昔の映画でも結構あるかな、ストーリーのメインではなく、日常生活の描写の部分とか。


「UO」とは「ウルティマオンライン」のこと。かつてクォータービュー表示だった、今では3D表示の多人数同時参加型ネットワークロールプレイングゲーム(MMORPG)。日本でも一時期はサポートしていたので知っている人も多いはず。入力デバイスはキーボードとマウスで、出力は画像と音だけ、なんだけど音は基本的に効果音なので、会話なども基本的に文字でのやり取りとなる。

そのような世界では聴覚に問題を抱えている人でもごく普通に意思疎通ができる。文字でのやりとり、筆記交流が当たり前の世界。多人数同時参加型ネットワークロールプレイングゲームの世界は、見方を変えるとそういう人たちの世界と同じ環境にあるものでもあった。表現の制限があることは、その制限を元々有している人にとっては、平等な世界でもある。この発想は無かった。

いや、逆か。環境設定を変えることで、本来の世界ならば難儀する人も、そのハードルを越えて同じラインに立てる。歯が欠けた人も差し歯などで普通に食事ができるようになるとか、視力が落ちても眼鏡で補正するとか。

そしてその発想はVRにも活きてくる。VRではリアルの当人で無い人に化ける、成り代わることもできるけど、それはリアルな状況で欠けているものを補完できることになる。誰もがカールルイスやベンジョンソンのような走りを、いやスーパーマンのような走り、空中飛行も体験できる。

圧迫面接と将来の顧客と

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ここ数日面接に絡んだ話がよく出てくるなあと思ったら、そうか就活解禁日となったからか、と納得しつつ。この類の話は良く聞く一方で、それの確証性に関しては何も裏付けするものが無く(該当者のアカウントをたどることである程度信ぴょう性チェックはできけど、伝聞で云々となった時点でその精査も意味がなくなる)、さらに【感情的な情報はポジ・ネガ共に発散するが、じきにネガが大きくなる】にもあるように、ネガティブなお話とか胸のすく武勇伝的な話の方が浸透しやすいので、自分の目に留まる機会も増えてくるとかあるから、確からしさ、そして実際の登場確率ってのはどれほどなのだろうかという問題もあるけど。

面接周りの話をまとめた書籍を見ても、確かに圧迫面接に関わるお話はずいぶんと昔から存在するし、それをダイナミック肯定するものも多い。しかしながらそれがまかり通るのは、かつての求人倍率1倍未満が当たり前、デフレ下の雇用市場における状況。

今ではよほどの場面でない限り、求職をする側が有利になっている。無論社会人として必要不可欠な礼節はあるけどね。にも関わらず、圧迫面接もりもり状態を続けている企業は、情報のアップデートができていないと認識した方が良い。企業全体の場合もあれば、人事担当が、という場合もあるけど、どちらにしてフラグには違いなく。


該当するイベントそのものはさておき。例の事案においてこんな分析があった。色々なパターンで当方も似たような事は内部でやってるけど、ここまで明確でしかも大きな値が出てくるのはなかなかない。感情の度合いが大きく、対象となる数も多いからねえ。

で、肯定的・否定的なワードの設定次第ではあるのだけど(つまりこの場合はヤフーリアルタイム内部でのロジックの問題)、事案が生じた直後はポジティブ・ネガティブが同じぐらいで生じるけど、時間が経つにつれでネガティブの方が大きなものとなり、継続性も高い。

これはネガティブな情報が生物学的に危険信号ということで本質的に注意注目されやすいことに加え、ネガティブな情報を他人に公知することで自分の内に沸きあがる感情を発散する思惑も多分にあるから。喜怒哀楽のうち怒哀の部分かな。

あとは認証欲求の観点でも、ポジティブよりネガティブの方が伝えられやすいってのを知っている、あるいは無意識のうちに認識しているので、他人に自分(の発言)を知ってもらい多くの人に伝播してもらうのには、ネガティブな情報の方が良いとの判断も加わっているのだろう。

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