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これはソーシャルメディア、特にたくさんの人をフォローしてざっと見的に閲覧が可能なツイッターで生じがちな現象なんだけど、指摘されないとなかなか気が付かず、罠に陥りがちなお話。

要は自分がフォローしてタイムライン上に見えているツイートは、押しなべて自分自身が選んだ人ばかりであり、その選択基準を思い返してみようってこと。一流の腕を持つ、自分がスゴイなぁと感じた人を続々フォローしていれば、確実にそういう腕前の人のばかりが目に留まるようになる。その業界全体の上澄み、濃い部分ばかりをチェックしているのにもかかわらず、全体を見ているかのような錯覚に陥ってしまう。


人間の記憶ってのは随分と曖昧なので、経験者の語りは重要であるけど、同時にその記憶が事実とは異なるもの、改ざんされていることも多々あるので、鵜呑みにするのは極めて危険であるってのは、以前から何度も言及している。現場至上主義がはびこると、その当事者の無意識なミス、さらには思惑で色々な悪意が成されてしまう、改ざんされてしまう。

そして今件で指摘されている通り、時間の流れによる社会の動きは大きなものであることから、昔の常識がそのまま現在でも通用するかのような話をすると、ちぐはぐなことになりかねない。その具体例として70年という仕切りを挙げているけど、これは太平洋戦争が終わった1945年に70年を足して2015年となることから、現在から大体70年あまりが経過しているよねという話からきている。戦時や戦争直後の話を基に、現在が同じであるかのように語るのは、それこそ明治維新から太平洋戦争開戦までの違いに等しい...って、太平洋戦争は1941年に始まったから、そこから70年を引くと1871年、で大体あってるな。明治元年は1868年だし。

名刺は自分の分身である

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ツイッターのアイコンのノリで紙の名刺にも、著作権上どうなんだろうというビジュアルを載せている人は、確かに存在する。アクセントの上ではプラスになるけど、少しでもその方面の知識がある人が見たら、ちょっと引いてしまうのもまた事実。

名刺はその人本人の分身であり広告塔のようなものでもある。その名刺に違法行為の所業がどーんとあれば、それを受け取った人はどのような認識を抱くだろうか。名刺に「私は法に疎いです」と書かれてあるのと同じ。要注意ではある。

伝えないデタラメさ

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リソースには限りがあるし、人が手掛ける事だから完全な公明正大なものってのは無い。人が介在するものには必ずフィルターがかかるので、自分の悟りを人に伝える事は不可能だっていう、弘法大師様か何かの話を思い出したけど。それは理解承知した上で、その領域・許容範囲を超えた状態にあるというのが現状のマスコミの所業であり、それがさらにインターネットで容易に可視化され検証されるようになったからこそ、マスコミ不信が生じているのではないかな、と

政府は隠し事をしている、企業は隠ぺいを図っているというけれど、それを語るマスコミや知識人、有識者も同じ事をしているよね、ということになる。

こういう話をすると、既存メディア・報道とインターネットを対のものとしてとらえて話の焦点をずらしてくる筋もあるのだけど。本家サイトの記事で何度と無く言及している通り、インターネットってのはあくまでもツールでしか無いので、それを新聞やテレビといった業界でまとまっている組織と並べ比べるのは無理がある。第一、新聞もテレビも、インターネットを使ってコンテンツをもりもりと自ら配信してるよね。インターネットはあくまでもインフラだから、そこから何を抽出するかは受け手側の主観によるものとなる。セブン-イレブンにしか足を運んでおらずにコンビニのすべては語れないよね。少なくともローソンとファミマぐらいははしごしないと(他の種類も多々あるけど、あくまでも代表的なものとして)。

雑な例えだけど、テレビも新聞も「目玉焼きにはしょう油」としか伝えていない。でも自分の目の前にある目玉焼きにはしょう油以外にコショウもケチャップもマヨネーズもつけられる。そんな状態。目の前に目玉焼きが無い人は、テレビや新聞の「目玉焼きにはしょう油」をただただ信じてしまう。


詳しくはまとめてある内容を読んでほしいのだけど、長年太鼓持ちされる、ちやほやされる、組織内で上にあるような立場にいると、それが当たり前になり、周辺の対応もごく普通のもので社会全体がそのような構造になっていると誤解してしまう。だから、定年退職とか入院をしてその「住み心地の良い世界」から外れると、自分の立ち位置を支えたものが失われるので、コミュニケーションに難が生じてしまう。

下駄をはかせてもらって周囲と応対していたのに、その下駄が無くなってしまう。自転車の補助輪を突然外されたようなもので、それでも何とか倒れたりしながらもバランスを取って補助輪なしで走れるようになればいいのだけど、倒れて駄々をこねたり癇癪を爆発させてしまうような事例ってのは多々見られる。

これって極端な例ではあるけど、漫画などでよく見られる、お金持ちのおぼっちゃまが普段はイバリ散らしていたけど、ある日突然家が没落して、その権威の地盤が無くなった時にどうなるか、ってのと同じなんだよね。悲しいのは、当人が「自分の権威が無くなった」ことに気が付かない、気が付けない場合もあるということ。


これは切り口を変えた上で何度か言及している話ではあるけど。情報の性質が大きく変わっていく中で、これまでの常識が通用しない、本質が露呈しているというお話。テレビが良い例だけど、一方向性の、少数から多数のそれぞれに対して一方的に投げるだけ、受け取る方は疑問も持たずにただ受け取るのみで、疑問を持ったり反論をしたくとも情報発信能力が無いので独り言をするだけっていう時代は終わってしまっている。

終わらせたのはインターネット。だから、今でも新聞やテレビに頼っている人は、前世紀の「レガシーメディアの支配下にいるままの存在」でしかないのだけど。それの方が楽だってのも事実なので、それをとがめるつもりはないのだけどね。「マトリックス」の幻想世界の中で生活を望むのかという感じ。赤と青の薬のどちらを飲む?

とまれ、報道界隈の人達は、今や自分が取材をしている対象から、同時に取材を受けているのと同じであることに注意をした方がいい。取材をする対象自身も、報道と同様の情報発信能力を持っているのだから。実際に公知する力はけた違いだろうけど、内容次第ではテレビや新聞以上に周知される可能性がある。

対応次第で、取材する側の能力が測られる。実はこれ、ずっと前からの話。問題なのはその事実を不特定多数に周知される可能性が出てきたということ。何か勘違いしているかもしれないけど、「素人感覚で」が求められていたとしても、本当に素人で無いといけないってわけじゃない、むしろそれじゃいけない。


方程式のような決まり事では無いし、この考えに当てはまらない事例も多々あるのだろうけど、自分の経験則でもおおよそこれは正しいような気がする。

十分な利潤がある仕事だからこそ、色々な観点で余裕があり無茶な話は無く、トラブルリスクも小さい。ただしそういう話はすぐに引き受け手が決まってしまうだろうから、すぐに遭遇できるようなものでは無い。

逆に、条件が悪くて誰も手をつけないようなものは、段々と時間が経過してますます状況が悪化していく。条件もさらに厳しくなるので、結果として対価はイマイチだし口出しも多くなるし内容もトンチンカンなものとなってしまう。逆の意味での生存者バイアスの結果といえるかもしれない。バイキング料理で時間が経過してから足を運ぶと、空のお皿ばかりで残っているのも、何だか端切れとか形崩れのものばかりだったような。

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