報道の語る「モノが言える社会」とは「一方的にモノが言えて責任を取らずに済み反論も行われない社会」である

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インターネットの普及によって個人ベースでの情報の配信が容易になり、個人間の情報のやり取りや蓄積、検索や検証が容易になったことで、情報の質は大きな変化を遂げた。情報の流れもかつてはピラミッド型構造だったのが、今では(まだピラミッド型構造が残っている部分もあるし影響力も否定できないけど)多方向型に変わりつつある。

で、新聞記者などにとってはピラミッド型構造の時代の常識や権限、恩恵を受けている状態こそが「モノが言える社会」なんだろうなと考えると、道理が通るというか納得がいく。そのような状態なら発信する側は滅多なことでは責任を負わなくて済むからね。その方が楽ではあるのだし。

結局は【「言いたい事が言えない」と言いたい事を言っている】と同じで、言いたいことを一方的に言わせろ、何も文句を言うなということなんだろう。というか新聞報道ってそういうものだったのか、と考えると、色々と頭痛がしてきたりする。

「発言の責任は取らなくてもいい、批判はまかりならぬ。それが『報道』ってもんでしょ?」と思っているのだろう。新聞記者の公式アカウントのツイートを読むだけでも、そのような考えが多分に支配していることは、容易に把握できる。

要は自分達は特権階級で、今まで縦横無尽に使っていた特権をそのまま有効にさせ続けろということ。


昔も今もメディアは情報の伝達媒体、インフラでしかない。そのインフラが携わる者の思惑で内容を変えられたり、フェイクを混ぜられては困るよというもの。

例えるなら水道みたいなもので、安全な品質の水道水を常に一定に流してくれることを求められているのに、水道局の人が「自分はオレンジジュースが好きだから皆も好きになるべきだ」と勝手にオレンジジュースの粉を混ぜたり、健康にいいからとEM菌を混ぜたり、怪しげな水道管に繋ぎ変えたりしたらアウトだよね、というもの。そういうことをしたいのなら、それ専用の供給管を自分で作って求める人に提供すればいいだけの話なんだよね。

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このページは、不破雷蔵が2019年9月 1日 07:52に書いた記事です。

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