報道が不安をあおるのはなぜだろう

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実のところ朝日新聞に限った話では無く、また以前から何度か「記事タイトルに感情表現の類があったら、その記事の書き手の思惑が多分に含まれた内容で論説みたいなものであり、報道記事足り得ないのでスルーが無難」と警告もしているけれど。それに連なるお話ではある。

今記事では複数の方面から似たような指摘がされているけど、ホント、この類の話は確かな専門家に取材をした上で記事にしてほしい。まぁ、都合の良い「専門家」を使って内容の誘導をするのが日常茶飯事化しているから、専門家云々としてもあまり期待はできないのだけど。それに専門家にアプローチをする時の無礼な実情は多数報告されている通りだし。


なぜ不安をあおる、扇動する見出しをつけるのか。イエロージャーナリズムというかセンセーショナリズムというか、かつての東スポ感、今ならまとめサイト感というのか。とにかく目立てばよい。そしてなぜ目立たせる必要があるのかと考えると、実名やプライバシーを表記する時の言い訳「読者・視聴者に印象付けさせたいから。それが私達の責務であり正義だから」と同じなのだろうなあ、と。

要はそれが事実から外れていても、見当違いの思惑でも、必要以上に不安を煽ったり実態とは異なる印象だったとしても、事案の重たさを伝えられるかもしれないという配信側の思惑に合致すれば、平気で行使される。先の「地名を併せ出せば覚えてもらえるかも」と同じ発想。

ポリコレ棒というか「正義」の暴走というか。最近とみに問題視されている話と共通する部分が多いんだよね。まさに【「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」】が体現化しているのだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2017年11月20日 07:56に書いた記事です。

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