境界線とグレーゾーンと報道の「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」

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先日の某中東事案で被害関係者や政府側が実名報道は控えて欲しいとの要望を公式に出したにも関わらず、今回も報道側の「知る権利」「過剰な配慮」などといういつもの通りの「自分達は崇高な責務によって仕事をしているのだから誰にも止めることはできない」的な反論を成して政府批判にすり替えたり、週刊誌だから芸能人だからとプライバシーの問題やら通信の秘密に係わる境界線をもりもりぶち破って踏み千切ったりするような事案が立て続けに起きるのを見て、非常に危ういなあ、報道界隈そのものが悪しき暴走権力組織と化してしまっているなあ、という感は否めない。

それはまるで、「報じる際に匿名か実名かは俺達報道が決める。何人たりとも文句は言わせない。俺が、俺達が正義で絶対神だ」と同じで、非常に危うい。

「境界線」を決める権利、技術は報道サイドにあるのか、勝手に設定した「境界線」の確からしさを保証するもの、担保はどこにあるのか、法的な裏付けは、などなど。まさにブレーキの無い暴走自動車状態。あるいは物心つかない子供に実包入りの拳銃を持たせるようなもの。「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」という感じ。


これまでにも何度か指摘しているけれど、そもそもグレーゾーンってのはイレギュラーな事態が発生した時に、色々と配慮をしたり、社会・組織・仕組みそのもののバランスや安定性を崩さないために存在する、保険的なもの。スタビライザーみたいな意味合いを持たせている場合もある。その部分を積極的に、意図的に利用してしまったら、当然皆がそれに飛び付き、かえって社会は、組織は不安定化してしまう。

それを避けるために社会の運営側は線引きを明確化しなければならなくなってしまう。それをしなければ、社会全体がぐちゃぐちゃになってしまうからだ。

このような状況に関して、「報道内部でも危機感を抱いている人がいるのでは」とする声もある。そりゃ皆無ではないだろうけど、そのような意思・意図を持つ人が意思決定のポジションに居れば、そもそも現状のような体たらくさは起きていないんだよね。それこそ息ができなくなるくらい、襟を正す時期に来ているのではないかな。

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このページは、不破雷蔵が2016年7月 7日 07:50に書いた記事です。

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