今の報道は漫画や映画に出てくる「嫌がらせをする近所の悪い人」状態

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そば事案(森友、加計)に関わる先日の参考人招致の実態と、それを伝えた各報道の内容からもダイナミック明らかになったように、昨今の報道界隈は多分にモンスタークレーマーすら腰を抜かして逃げ出すような状況となっている。「印象操作」ですら生ぬるい。

「報道」は公明正大で情報を分かりやすく、そして何よりも正しく伝えるからこそ、その存在意義があり、社会的にさまざまな庇護を受けている。それが今や「権力の監視」と自称するけど、実際には何も殴る必要は無いのに棍棒で殴りつけ、それを制止する者は誰もいない。【境界線とグレーゾーンと報道の「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」】でも挙げた「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」状態。どこからも「監視」されていないし、制止されず、一方的に殴れるのなら、どこまでも増長して当然。自制や業界団体による自主規制が意味を成さないのはBPOが好例。

「報道の自由」が「報道の自由奔放無責任」のような形となり、オールマイティカードとなってしまっている。一切保護者からも周囲の大人からも注意を受けずにちやほやされた子供が、ワガママ三昧に育ってしまい、手が付けられなくなる。それと同じ状況なのが、今の報道の有り様なのだろう。

以前も言及しだけれど、そして昨今の「物品賃借問題」でも顕著なのだけど、今の報道界隈は自らをお貴族様的なポジションにあると認識し、それ以外の存在はすべて自分達の行動のために尽くす消耗品としてしか見てないのだろう。いくら下々が疲労しても、我々が「報道」できればそれでよし、なぜなら下々は我々の「報道」を求めているのだから、という自意識があるのだろう。

そば事案(森友、加計)に限っても、報道側のポジションが、漫画でよく出てくる、気に食わない家族に対し、でたらめな悪い噂を近所の主婦に風潮しまくったり、誹謗中傷の張り紙をあちこちに貼ったり、ごみをわざとその家族の住宅周辺にばらまいたりして、仲間外れにさせたり避けさせたりして、困っている様子を見てほくそ笑む、真の髄から悪い人とさほど変わらないような気がする。

手法が驚くほど似てるのだよね。ゴミを散らかしてるとか、奥さんがアレな商売をしてるとか、夫が危ない仕事に手を出しているとか、子供が万引きしたという「ひそひそ話」をしたり、子供に噂話を広めさせたり、でたらめな内容の風評チラシをばらまいたりとか。まさに「恨み屋本舗」に出てくるターゲットみたいな感じなんだよね。

そういう界隈が「公明正大に社会のあれこれを正しく、分かりやすく伝える」「権力を監視する」としているのだから、世の中良くなるはずもなく。

やはりやらかしたことには相応の「総括」が必要なんだろうな、という気がする。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2017年7月12日 07:36に書いた記事です。

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