「言えない空気」は「好き勝手に不特定多数に従わせる言葉を言えて、反論が無い状態じゃなくなった空気」に違いなく

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先日の終戦記念日に合わせ、【想いの通りにならないと地べたにへばりついて駄々をこねる子供のような...「批判自粛が広がっている」とジャーナリストや知識人が会見】【旧来のジャーナリストで高名な人達による妄言会見と、それをメディアの危機に意見するジャーナリスト的な記事に仕立てる新聞と】で挙げたような、一部の旧来ジャーナリスト界隈における叫び的な話がちらほらと見受けられる。語っているのに語れないと主張する、一文で自己矛盾が創生されてしまうステキナイスなお話とか。

先の記事でも挙げているけれど、この「言えない空気」ってのは「言っても周囲から賛美され拍手で迎えられるような以前のような空気では無い」ってことを意味する。「中国船の大軍が侵入してきた事」云々ってのは強烈な皮肉であって、まあ本旨からはちょいと外れるけれど、ある意味そういうことでもあるんだよなあ、という感が。


「言えない空気」に関するズバリなお話はこちら。要は芸人がこれまで観客に受け入れられていたネタが飽きられてきたような反応となったので、何でだろうというところ。普通の芸人なら「今の観客にあった新しいネタを考えよう」とか「別の方面の観客に向けてアピールするのはどうだろう」とか、色々と考えるのだけど、今件界隈では「受け入れられないのは自分達の語りの内容に問題があった、環境が変化してその実態が暴露されてしまったのではなく、周囲が悪い、自分達は悪くない」と断じてしまっている。

例えばかつて大いに受けていた漫才師が、同じネタばかり繰り返していたので、段々と飽きられ、出演を断れ、仕事を乾されていく。その時その漫才師が「もの言えぬ空気が蔓延している」と主張したら、周囲はどのような判断を下すだろうか。

「商売とは別物」というのなら、受け入れられなくても語り続けば良い。ブログ、ツイッター、同人誌、雑誌投稿、動画メディア。自己主張が可能な媒体は、過去と比べて山ほど増えた。電子出版をしたってよい。そうではなく、受けなくなったので「言えない空気」と主張しているから問題だったりする。


指摘にもある通り、双方向性の時代となって、今までのテンプレートが使えなくなってきた結果でしかなく。「私たちは(思い通りにいかなくなったので)怒っています」という次第。

似たような話として、自由は責任が同時に伴うものであり、自由奔放とは別物というもの。「やりたい放題、やった後に責任を取らず」を自由と思っていたのなら、大間違いということ。自由に語れるけれども、その言には責任が伴い、反論も受ける。それだけのお話。


これも以前言及したし、上でもちらりと触れているけれど、メディアの選択肢の増加や情報発信手段の増加、能力向上(ぶっちゃけると大体インターネット)で、多くの人が情報を発信できるようになり、既存のメディアや言論家・評論家の特権が薄らいでしまった。ナンバーワンかつオンリーワンがワンオブゼンになってしまった。レトルトカレーはボンカレーだけだったのが、グロス単位で豊富な種類が揃うようになってしまった。となると、人々は質を求めて選択するわけで、質が相応のモノで無ければ当然淘汰されてしまう。

権威が無くなっても実力があれば、引き続き居場所は確保できるし、新たな権威を実力の下に得ることが出来る。それを成そうとせずに単に「もの言えぬ雰囲気」と声を挙げるのは、単に面倒なのか、実力が無いのか、ハリボテとなった権威を振りかざし「効果がある」としたいだけなのだろうね。

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このページは、不破雷蔵が2016年8月16日 08:03に書いた記事です。

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