戦争の情報で引き継ぐべきは「記憶」では無く「記録」に違いなく

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先日の終戦記念日に合わせ各方面で、かつての戦争(太平洋戦争)における記憶を継承するとか伝えつむぐ的な話が見受けられた。いや、今年だけで無く毎年だね。ただ、その界隈にとっては反応が鈍いので、あまり面白い状況ではないらしい。そりゃそうだ。ずっと過去の一時の戦争にばかり注視して、現状の戦争に絡んだ話はまるきしパスしているどころか、意図的に目をつむっている感すらあるのだから。毎週放送されるアニメ番組が、毎回同じ回ばかり放送されるようなもの。

加え。上でも指摘されているし、以前も交通事故周りやズバリ戦争体験者の話としてあげたけど、人の記憶、体験談は得てして印象論が前面に押し出されるし、さらには個人の考えが多分に混じる。さらに個々の人の持つ物差しは一様ではないので、記憶される状況も大きく変化する。交通事故や災害現場の目撃証言で、目撃者の証言がすべて一致するなんてことは滅多にない。イメージや断片的な情報、誤認、パニック的な意思判断による記憶などで、ぐだぐだになる。その意味では昨今普及が進んでいるスマホによる写真・画像の方が、よほど資料性は高い(これもまた撮り方などよる注意が必要になるけど)。

第一、記憶ってのは多分に上書きされてしまう。子供が昔親から聞かされていた話を、自分の体験として誤認識してしまうってのが良い例。不正確、不鮮明な記憶を引き継げば、歴史はゆがめられ、一部の人の思うがままに改ざんされてしまう。


「架空戦記小説」とは言い得て妙だけど、まさにそんな感じになる。肉声は、体験者の意見はリアルではあるけれど、分かりやすいかもしれないけれど、それが正しいとは限らない。印象が、記憶違いが山盛りの可能性は否定できず、さらに語り手の印象操作の可能性が成されている、ごく一部分を切り取って全体のように見せている可能性もある。例の「煽情ジャーナリスト」が良い例だ。

これは歴史的な問題に限らない。何らかの事件、事故に係わる話においても、片方のみの語りですべてを判断してしまうと、全体像がつかみにくい、誤誘導されてしまう可能性が多分にある。仮にその人が語っていることが事実だとしても、それが全体像を確認するための情報のすべてだろうかと考えれば、容易に理解はできるはず。


むしろ頭でちょっと触れたけど、そもそも論として「戦争」って何だろうとか、戦争のメカニズムとか、戦争の起きる前・起きた後の関連各国の動向などを、歴史体系として学ばせることの方が、多分に重要性は高いし価値があるような気がする。単に「戦争」をマジックワード的なものとして、それっぽいものは全部石をぶつけてしまおうってのは、数百年前の民間信仰と何ら変わりは無いんじゃないかな。

            

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2016年8月16日 07:30に書いた記事です。

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