「相手を怒らせて語らせるのがジャーナリズム」のもう一つの怖いところ

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先日の【「候補者に失礼なことを言って怒らす」のはジャーナリズムでもなんでもない】をアップした後に気が付いたこと。取材対象者の感情を逆なでして怒らせ、本音を語らせることこそが一流の記者でありジャーナリズムだ云々ってのは、今件の記事で語ったライターに限らず、多数の報道界隈が以前から言及しており、今サイトでも何度か取り上げたお話ではあるのだけど。

これってよく考えてみたら非常に危険な話にも違いない。何らかの手法、今件ならば相手を挑発したり怒らせるという方法で、取材対象者が本来望んでいない事柄を語らせ、明らかにさせるのを是としてしまうと、その「怒らせる手段」ってののラインが無い以上、何でもありになってしまう。取材対象者に暴力行為を成したり、脅迫をしたり、実被害を与えた上で、語らせるのもジャーナリズムとして正しいことになってしまう。

倫理観と常識で自らの自主規制を行うはずだとの意見に関しては、「取材対象者の感情を逆なでして怒らせ」との時点ですでにそれらのラインを踏み越えているので、何の説明にもならない。


指摘の通り、普通の意識の状態で語りたくない、黙っている内容を、その意思に反して語らせるのは、その語りを誘引させた行為が語りの強要にも直結する。そもそもこれも以前言及したけれど、人の口から語られた文言が、すべてその人の思い、内情、記憶を表しているとは限らない。印象の受け止め方の違いや記憶違い、表現の仕方のミス、言い間違い、パニクっていて関係の無いことを話してしまうこともある。それを事実だ、真実だとされてしまうのでは、たまったものではない(人前で語るとあがる傾向にある人は、この辺りは良くわかるはず)。

この辺の問題も結局のところ、「報道界隈、ジャーナリストは何をしても許される」との認識から来るのだろうなあ、と考えると納得ができるものがある。つまりはその特権階級的意識とそこから発する行動様式が、さまざまな問題として露呈しているのだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2016年8月 9日 07:17に書いた記事です。

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