日々報道の「やらかし」が露呈する話と「報道ってアンテナとしてしか使えないじゃん」的な指摘

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先日の【都合の良い物語を創って事実であるように伝えるのは「報道」とは別だよね】にも多分に関連する......というか波及する話。元々以前からそういう流れではあり、それがじわりと悪化している感はもちろんあるのだけど、それが選挙が近そうな雰囲気と共に、より大胆に、より露骨に、よりひどくなってきたような気がする。

当方はというと「経年劣化の表れ、つまり昔はもう少しまともな人達で構成されていた、質も高かった」「実態が暴露されるような環境が整備された結果」の双方が累乗的に表れているとの考えなのだけど、前者については検証が出来ないこと(当時の実態を推し量るすべはない)に加え、現役を退いた人たちの言動を見るに、何か昨今問題をおこしている「やらかし報道」の関係者と何ら変わりないなあというところを見ると、やはり後者、つまり「元からこうだったのがばれるようになった」のってが多分なのかもしれない。ネットによる可視化は、普段可視化可視化とお騒ぎになる報道界隈自身の可視化も体現化させた次第。


ネットの普及は報道を受ける側、ソースとなる側が即時に反応を示し、それを不特定多数に開示できる効果を生み出した。間違った報道、意図的な改ざんをされても、昔は泣き寝入りだったのだろう。例え「それは違う」と声を挙げても、一企業、ましてや一個人が社会に周知できる範囲は限られる。そしてそのような訴えは、得てして不特定多数に周知できるちからを独占しているメディアは拾い上げない。自分達の首を絞めかねないからね。

朝日新聞の報道が信用されていたというのは、恐らく本当だろう。その内容がどこまで正しかったのか否かはともかくとして。一方で、メッケル氏云々の指摘は非常に興味深い。報道界隈で良く見受けられる主張「自分達が正義」「是非は報道自身が決める」「報道が成している行為は尊いから絶対だ」的なものと近しい。当方が何度となく使っている「核心的利益(に基づいて行動し、報道の権限も利用する)」と意を同じくする。

まぁ、でも考え直してみれば、些細な話どころではない「吉田証言」問題を数十年も改め無かったり、ちょいと昔でも「KYって誰だ?」的なことをやらかしている辺りを考え直すと、昔はあったとされる朝日新聞の「信用」も、あっという間に曇りガラス状態となってしまう。


これは先日取り上げた、NHKの叙勲と保育士報道周りの話へのツッコミ。大よそ指摘の通りで、特に新聞やテレビの報道が「情報のインデックスに過ぎない」状態となっている、なりつつあるってのは言い得て妙であるし、当方も何度か指摘している。そこまで質が落ちたのか、あるいは元々その程度でそれでもなお「内容バッチリあってるからスペシャル信用してよね」的な羊頭狗肉状態でビジネスをしていただけなのか。

まぁ、これも可視化の結果の一つ、なのだろうな。与えられた、責務としての仕事を果たさず、権利ばかりを主張し、指摘をすると逆切れする。それに何の存在価値があるのだろう。

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このページは、不破雷蔵が2016年3月16日 08:00に書いた記事です。

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