「ウソをついて単位をもらう」のが当たり前だと思うのは、それで慣れていたからとの考え方

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先日の【「容易にばれるウソ」で分かる「相手が自分をどう見ているか」】の後日談的な話。単位不足で卒業が危うく、折角企業から採用をもらったのに留年しかねない、あるいは単に単位を落としそうだけど色々な弁明、理由付け、いいわけを詐称すれば、温情で単位をもらえるかもしれない。けれどそれらは大よそちょっと精査をすれば、真偽はすぐにわかる。そのようなレベルでのウソは、語っている相手をナメている証拠だよねということなのだけど、同時にこのような考え方もあるのではとの指摘。ああ、なるほど。

つまり、容易にばれるようなウソをつき、相手をなめていることに変わりはないけれど、同時にそのような事例でも過去において何とかなったことを経験則として知っており、学習してしまっているので、今回も上手くいくと判断したから、という話。確かに高校までは特異な例で無ければ進級や卒業させてもらえるので、適当な理由付けでもなんとかなってしまう。でもそのパターンは大学では原則通用はしないのだよねえ。

これって、大学生に向けられる、「大学はモラトリアム。社会人になるとそんな甘い考えではやっていけないぞ」というのと同じ気がする。高校までと大学、大学と社会人、それぞれ環境が異なり、認識も改めていかねばならないのだけど、それが出来ないと環境において適応が難しくなる。その違いについては自分自身で学ぶか、経験で知るか、あるいは教えてもらうか。大学の単位にしても、大学の場合は留年で済むけれど(繰り返すと退学になるけどね)、社会人になれば同じようなことをすると、減俸、そしてクビになりかねない。

保護者なり先輩なり教師なりにそのあたりの「社会の仕組み、姿勢、許容範囲の違い」まで教えてもらえるとよいのだけどねえ。例えば単位周り・自己休みなら高校までは「仕方ないから救済措置で何とかパスさせてあげる」、大学では「精査されれば単位はやらない。留年もありうる」、社会人では「ばれれば減俸などの懲罰、最悪クビ」と、段々周囲の対応が厳しくなる。それだけ責任が大きくなっているってことなんだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2016年1月25日 07:42に書いた記事です。

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