「にゃあ」ですべてが無かったことにできるのなら、それほど素敵なショーは無い

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先日の【別の写真を持ち出して政権批判を海外から米仏語で行う朝日新聞の編集委員先生】の件はその後朝日新聞側が相応の対応をしたと伝えられているけれど、その対応が今なお実施されていないことや、記者自身の「謝罪した」と説明されている文言が説明になっていない、いわゆる「ヘイポーの謝罪文」レベルでしかない件(感情論云々では無く、問題視されていた面と違う部分でのリアクションとなっている)で、著名ジャーナリストな方からこのような意見があり、これがま多方面からの意見をいただく形となっている。

富永記者の過去のツイートを見れば「一度の失敗」という文言は出てくるはずもなく、そもそも論としてあの問題の文言を「失敗」、つまりミスと表現してしまう自身が問題の本質を見間違っている。しかも半ば逆切れして、ツイッター界隈そのものにまで当たりちらし、擁護の姿勢まで見せている。論点をシフトしているようにすら見えてくる。

これって、例えば勉強したけれどミスをして良くない点数を取ったのと、勉強せずに遊びほうけて悪い点を取ったのを同一視しているとか、飛び出しを受けて事故を起こしてしまったのと、意図的に歩道に突っ込んで事故を起こしたのとを同一視しているのと同じなんだよね。


で、ご存知の通り、くだんのジャーナリスト先生は、つい先日の朝日新聞における二つの吉田問題に絡み、第三者委員会「信頼回復と再生のための委員会」の社外委員として参加しているんだよね。一体その委員会で何を見て、何をしてきたのか? 何もしてません、むしろお仲間としての意思疎通を確かなものとした次第です、と突っ込まれても否定ができないようなリアクションとしか見えてこない。


これは繰り返しの話になるし、上記ツイート群でもレスポンスで見受けられるけれど、ツイートとて公的な発言、見解の表明には違いなく、そこにおける内容が今件のように悪しき周知・公知、まぁ事実上報道の一種だわな、に対し擁護する姿勢を繰り返し示していると、これまでの実績そのものが疑われ、過去の経歴内容に関しても疑念が持たれても仕方がない状況になるのだよね。

まさにソーシャルメディアは諸刃の剣、なんだろうなあ。

......今件を「ミス」と連呼しているってのは、要するに冨永記者の問題は、内容そのものの捏造ではなく、大騒ぎされた、日本の関係者に周知され対応を余儀なくされてしまったってことを意味するのかな? そのような認識なら、つまり「もっとこっそりやればよかったのに」的な考えなら、それはそれで大きな問題ではあるのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月 7日 07:58に書いた記事です。

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