説明を求められて解説する姿勢と、その時に必要となるリソースと、解説する側の「繰り返し」の不条理さと

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質問をする側は初めてかもしれないけれど、質問される側は同じ事を何度となく繰り返しされている場合がある。さらに質問する側が同じことを何度となく、ある時は自分の質問した事を忘れてしまい、あるいはその他の目的で(質問そのものによる質問内容の周知や、事実と第三者に誤認させることとか)質問する事例もあるけれど。悪意の無い繰り返しの質問の場合、それが以前触れたように、新人教育の中で、新人側が知識を習得していく過程で起きうる反復学習の類のものであるのなら良いのだけど、そうでない場合は質問をされる側、返答する側はリソースの無駄遣いを覚えるようになる。

ツイッターやFacebookなどのソーシャルメディアでは意思疎通が楽になった、ハードルは低くなったけれど、実の所記録の保全性、検索性では下の下。データとしては確かに存在するのだけど、それを見つけてくるのには一苦労どころの話では無い。何でもかんでも放り込んだままで整理されていない物置のようなもの。だからこそブログなりトゥギャッターなりで自前の、あるいは覚え留めしておきたいものを集約することになる。

今件の場合はそのようなデータベース的なものを、企業サイトのQ&Aや「よくある質問」的な形でまとめているよ、という話。これも賢い手法には違いない。


中には明らかにビジネスとしてソーシャルメディアを使っていると宣言している、実用している人もいるんだろうけど、多くの人はプライベート、あるいはプライベートとビジネスのグレー的な場所で使っていることになる。それはそれでいいんだけど、その曖昧さっのは見方を変えると、どう対応しようが対応する側のフリーハンドにあるってことに他ならない。その辺は空気読めとか相手の状況を理解しろってことになるのだけど、無料コーナーで読み終えて「続きは有料」と表示があると逆切れしたり、試食品を一人で食い尽くして「もっと寄越せ」と怒鳴ったり、先日の話じゃないけど「なぜ無料で展開していたコンテンツを有料で販売するの」的な文句をつけてきたり。


ソーシャルメディアの書込みにしても、単なる戯言の場合もあれば、執筆記事と同じような品質のものもある。結局記事をタイピングしているとの観点では同じだからね。

世の中は善意・好意の渡し合いで成り立っているところがある。その足し引き勘定は目には見えないけれど、受け取ってばかりで、しかもそれを当たり前のように認識してお客的な立場の態度を取ると、周囲の人はどう思うのかな、と。親しき仲にも礼儀あり、という言葉もあるし、ね。

先日の【コンテンツ生成のハードルの低下と「ネット上のものは全部無料であるべきだ」との考え方と】あたりも絡んでくるんじゃないかなあ、と。インターネットがすべて無料で提供奉仕されるサービスで、ネット越しに動いているのは人の介在は成されていないと認識してしまうって感じ。そう考えると「サービス料を支払わずに自分の希望を通そうとする」行為が、あたかも当たり前のように行われてしまう、それが果たされないと逆切れするパターンが少なからずあるってのも、何となく理解できるような気がする。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年5月27日 08:16に書いた記事です。

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