コンテンツ生成のハードルの低下と「ネット上のものは全部無料であるべきだ」との考え方と

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お金周りの話では何度となく方向性を変えて伝えている感はあるけれど。インターネットとその周辺技術の進歩は色々な方面で作り手側のハードルを押し下げ、世に放つ機会を大きく増やしてくれた。また、個々の素質を引き伸ばし、後押ししてくれる頼もしい相棒にも成り、大空に羽ばたくのに必要な羽根の機能も有している。

一方で、作品の展示が容易に出来るようになったことに加え、ビジネスモデルも多様化したこともあり、指摘の通り情報...と同語義的な創作物、コンテンツに対し、インターネット上に公知されているものはすべて全員の共有物で対価は必要なくタダで手に入るもの、入るべきものとの認識が成されている。声を張り上げて主張する筋は少数だけど、深層心理の部分で否定できない人も多いはず。

人は経験から学習し、それを自分の筋として築き上げていく。デジタル系のツールに触れた当初から、満ちあふれる無料コンテンツに埋もれ、その作り手の姿を見ることなく成果物だけに囲まれて時間を過ごしていれば、そりゃあ誰でも「無料が普通で有料はアカン」的な発想になるのも無理は無い。漫画や映画の描写でよく見られる、自販機や駅の改札の使い方が分からない、モノを店で購入する時にはお金という対価を支払うのが必要となるってのを知らない、超富豪や箱入り的な子供の行動様式と変わらない。

まぁ、ある意味原理的な社会主義的な発想ではある。インフラ周りでいつの間にかブラック企業的な行動を推奨していたり、コンテンツの詐取を当たり前のもの、むしろ当然の権利として考え、注意されると逆切れするってのも、この辺りが根本にあるのかも。


指摘の通りインターネット上でフリーが云々ってのは、多分に学術的に用いられていた時の名残って部分が多い。その辺りの歴史が語られていないとか、コンテンツ生成の場面が周知されていないのが大きな要因なのかもな。

加えて。数年前に問題視されたいわゆる「マジコン」の時にも見受けられた、この類の話の時に来るであろう反論「払うだけのお金を持っていない、余裕が無い。でも欲しい」「欲しいと思っている、周囲が持っているから自分の子供も持っていないとかわいそう、でも対価を支払うのは惜しい」的な話。一見すると正論のようにも見えるけれど、根本的に間違っているのはすぐに分かるはず。

対価も提供せずに自分の欲望を強要するのは、単なる強奪と何ら変わりがない。いや、それを強要しようとしているのだから強盗か。ライトな表現にしても、食い逃げだな。それが正当化されるのなら、同じことを他人からされても文句は言えない。それとも「自分はしても良い、でも他人は自分にしたらダメ」なのかな。。。

まぁ、ネットで情報が容易に共有されて、取得欲求が以前と比べて膨張加速化してるのも一因なんだろうけどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月26日 07:52に書いた記事です。

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