ネットによって権威が「資料」から「現場」に移る時代とその危険性

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サンデーネットやニフティサーブといったパソコン通信時代、そして2ちゃんねるだのあめぞうだのようなネット掲示板における黎明期の話は、ソーシャルメディアのすう勢をまとめる記事で何度か調べたことがあるので、大よそ把握している。それもあってちらほら話に登っている、2ちゃんねる関連のお話は「ああ、また情報がよじ曲げられて伝えられている......というよりは歴史を都合の良いように創生して語り伝えて事実とすり替えようとしているな」的な感じでによによしなが見ていた次第。

で、そのあたりの話でちらりと出ていた、情報ソースの変遷について、ちょいと興味深い内容のやりとりがあったのと、当方に誤爆(笑)が来たことから、良い機会でもあるので覚え書き。


写経による情報の価値観が印刷の普及であっという間に暴落してしまった、一子相伝的なのがコピーが山ほど登場するようになったってのは言い得て妙で、それと同じような話がネットの普及で起きている、と。検証が必要だとか、ソースが明かせない情報は意味が薄くなるってのは、【おおかみ少年は次第に村人から信頼されなくなる、一次ソースを開示できない報道もまた......】でも指摘したお話。結局、まったく別の話でも、何らかの共通な要素ってのがあるんだな。


で、この辺の話を見聞きしていると、【現場は大事だけど現場がすべてではない。現場に居ることが無敵モードのアイテムになるのは困りもの】を思い出す次第。昔は資料、今は現場、ってね。

最近資料の代替として浸透し始めているのが「現場(での実体験)」。これは当方も何度か警告しているのだけど、現場の実体験は確かに貴重かつ重要視すべきものには違いないけれど、それ故に ①無条件で信じられやすいが「現場の話」として語られた内容が事実であるとは限らない(見聞きしたことをそのまま伝えているのか?) ②現場にいるとその周辺に浸透してしまい、心境が偏りがちになる ③その一領域だけで全体を判断してしまい、まさに「木を観て森を見ず」的な論調になるというリスクが生じるってのがある。加えて「美味しい所だけつまみ食い」的な事になる可能性も、ね。

肩書、権威主義的なものと同じで「現場至上主義」的な感があるんだよね。かつての「資料がある俺様エライ」的なのが、今は「現場にいる俺様エライ」に変わっただけ。で、そのリスクの高さは上で語られている、限定的な資料に対する万能主義と変わらないと。そりゃあ、独占した方が、独占した側は有利に立てるってのは、何においても事実だし。


時々当方が口にする「データを、資料を悪事の材料にするな」ってのもこの辺りにあるのかな。「俺様の勝ち」を導き出すために、データの一部のみをつまみ食いしたり、ぱっと見の印象を悪用したり、権威をかさにかけたり......。まぁ、それはケースバイケースではあるのだけど。

ともあれ、昔は紙資料でごく一部の人たちだけの特典的なものだったのが、印刷で不特定多数が手に出来るようになった。そしてそれがさらにネット上の情報となってハードルはますます低くなっていく。それゆえに、一部の人にしか手に入らない特典が得られる「現場の声」ってのものの価値はさらに高まりを示しているのだけど、それを悪用して、あるいはそれ故に先鋭化され、間違った使われ方をされるリスクも高まっている。

同時に上記では触れていない......というか失念していたけれど。取得のハードルが低くなったからこそ、間違って、あるいは意図的に誘導される形で、誤情報をつかまされるリスクも高まっている。それ故に印象的な内容で飛びついて丸のみするのではなく、自分の知識と照らし合わせて反芻し、必要があれば検証することの重要性が、これまで以上に求められているんじゃないかな。

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このページは、不破雷蔵が2014年11月28日 06:05に書いた記事です。

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