「諸説あります」は危ない内容を公共に流す時の免罪符

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テレビにしても新聞にしても雑誌にしてもラジオにしても、多かれ少なかれ公共財・インフラという存在には違いないし、ラテに関しては放送法などの法的な縛りすらある。そのようなポジションにある存在が、怪しげな話とか問題のある論説をあたかも事実であるかのように推し広めるツール的に使われ、ツッコミが入らないように免罪符的に使うのが「諸説あります」。この公知している内容が絶対事実じゃありませんよー、というてへぺろ免罪符をぺたりと貼り付ければ、何でもアリ的な自己ルールがまかり通っているのが実情。

それでいいのか。

公共の場で虚偽の内容で罵詈雑言を行い皆の前で恥をさらさせた後に、そう思わない人もいるかもねー、と一言ちょろりと語れば、免罪されるってことには......ならないよね。

「悪しき両論併記」とあるけど、今件を説明する上手い表現に違いない。両論を同等に扱う形で併記する時点で、その双方が同じぐらいの確からしさ、価値を持つと表現しているんだってことは、以前【「両論併記」は一見公正で正しいように見えるけど】で解説した通り。つまり「諸説あります」とした時点で、スットコな内容の論評も、科学的な事実も、同じぐらいの確からしさを持つと宣言していることになる。さらに発した側には責任はないよという放置プレイも。

この辺りもまた、最近の報道の品質の実情を把握できる良い事例であったりする...と思ったけど、考え直してみると昔からこんな表現は使われていたので、昔から品質的にはこんなレベルでしか無く、気が付けるようになったってことなんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2019年11月26日 07:07に書いた記事です。

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