日本のアレは世界とは別だからダメ、世界に合わせなきゃという論調

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以前の某専門誌の表紙でこの論調を使われて思いっきりぶん殴られてえらい目にあったのはいまだに覚えているけど。確かにその分野で世界との取引が必要で、それに合わせる必要があるってのなら話は別だけど、そうでない場合は、なぜ自分のものが悪い存在となってしまうのか、他のところのものに合わせなきゃいけないのか、合理的な理由が無いというケースが多々あったりする。

大まかに区分すると引用した2パターン。「世界の」って言ってるけど実際には語り手の界隈だけの話だったり多分に論争が生じていたり多様性がある中で、一つの領域があたかも世界共通のように語られている。もう一つは確かに世界全体と比べれば少数派かもしれないけど、それを多数派に合わせる必要性は無いというもの。

結局はいわゆるマウンティングをするためのツールとして使われているか、自前の論調を正当化するために「世界の」が武器化されているか、だったりするのだよね。そんなこといってたら日本語が使えなくなるやん、的な。


で、この論調って見方を変えると、子供の駄々こねで有名なフレーズ、友達が持っているから自分も欲しいってのと同じようなレベルの要求でもあるのだな、という結論に至ったりする。

確かに世界で行われている方法がより現実的で効率的でハッピーになれるのなら、それを習って取り入れるのは悪くない。ただしその時には取り入れることで生じるメリットとデメリットを検証する必要があるし、環境の違いを考慮しなきゃならない。まさに猿真似で同じようなことをしても、条件が違うので似たような効果は得られず、デメリットばかり享受してしまうってことは多々あるわけだ。

自分以外のあれこれを参考にすること次第は悪くない。それどころか積極的に行うべきだ。ただし鵜呑みにして何でも他のものが最適だとするのは悪手でしかない。日本のもの以外、他のものってのを提示された時、それに提示した人の思惑・取捨選択が込められていることは多々あるからね。

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このページは、不破雷蔵が2019年6月 7日 07:49に書いた記事です。

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