年とともに趣味であきらめる人は他人をうらやんでいるのかも

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年を取ってくると残りの年数とか加齢とかモチベーションの低下とか世間体とかで、自分の趣味とか好きな物を放り投げてしまう、手をつけたくても手を伸ばせないってケースを見聞きする。先日も50代になってから楽器の手習いを始めそれなりに堪能している人に対し、色々と賛否両論があった気もする。

自分の物理的な要因で投げてしまうのなら仕方がないけど、そのような結論を出した上で、他人と比較してうらやんだり焦ったりするのはどうだろうか、むしろそういう気持ちがあるので他人にも同じようにしろ、もう無理だからあきらめろと正論、多数派の意見のように語るのでは、という指摘は、絶対のものでは無いけど、少なからずあると思う。自分が出来なかったのにあいつができるのは悔しい、自分が置いていかれる感じがする、あいつも止める、投げるべきだ、というところ。

でもみんなで一緒に走っていこうってのは、小学生でオシマイにしよう。確かに年を取るとある意味年齢が逆行して子供のようになってしまう部分はあるのだけど。別にいいじゃん、その方面で置いてかれたって、というか置いてかれてしまうこと自体が悪いことだと誰が決めたのか。また別の事をできる機会が得られたじゃん。


年を取るともちろんだけど、そうでない時でも自分自身や周辺環境は刻々と変化してるし、ダメな時は何をやってもダメって場合もある。その時に他人をうらやむのは仕方がないし、運の悪さを嘆くのも当たり前の話ではあるけど、そのうらやみを具体的に他への攻撃エネルギーとして変換してしまったり、自分のダメな環境に他人も追い込むべく足を引っ張って自分の巻き添えにさせよう、分かち合えば自分自身の痛みも減るのではという自己満足的な考えに至ってしまってはいけない。

まぁ、人間って弱いから、なかなかそういうことは上手くできないし、無意識のうちにやってしまってはいるのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2019年5月21日 07:59に書いた記事です。

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