情報の質の変化による暴露化で「増えた」ように見えるのだろう

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自分のタイムラインの構成の仕方も一因なのかもしれないけど、ツイッターなどで定期的に目に留まる、道路での無謀運転とか狼藉者による脅迫行為とか、報道界隈の傍若無人な挙動。これって果たしてここ数年で凶悪化、頻繁化してきたのだろうか。印象としてはまさにそんな感じで、世の中急に騒がしく、おっかなくなってきたなという気もする。

けどよく考えてみると、それらの情報は自分がツイッターなりFacebookなり巡回サイトを利用するからこそ得られるものであって、なければ知ることはまずありえない。交通事故の例に限っても、警察庁などの統計の限りではここ十数年、二十年ぐらいかな、の間は毎年ほぼ減少を続けているし、状況はむしろ改善されているはず。

と、なると恐らくは、社会全体、世の中そのものとしてはよくなっているはずなんだけど、自分の手に届く情報、知りえる領域が増え、遠くを見渡せるようになったことで、たくさんの出来事が把握できるようになり、認知可能な情報が増加したことで、「騒がしくなってきた」「事案が増えた」と感じてしまうのだろう。色々な意味での可視化というものだな。

論議で勝てなくなると脅迫をしてきたり、リアルな場での対面で制圧する。実名主義と合わせ問題視されている話ではあるけど、これもまた、脅迫や対面制圧自身がしやすくなったというのもあるけど、以前からそういう界隈は日常茶飯事的に行っていたまでのことで、最近になって可視化されただけなのだろう。

悪事であろうと何であろうと目に留まりやすく、情報として掌握されやすくなる。その分、受け手側がちゃんと精査して正しい判断をしなきゃならなくなる。情報の質の変質ってのが、あらためて認識できる実情ではある。

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このページは、不破雷蔵が2019年5月 1日 07:17に書いた記事です。

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