権力とか社会とかが絶対悪で、それに立ち向かうのが絶対正義という古い二極構造

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選択肢を二つ、片方を自分が信奉する側、もう片方を敵対する側に設定し、どちらかを選ばせる。もちろん敵対する方が悪いという印象付けで。あるいは何か罰するべき、糾弾されるべき的な存在があった場合、それと対立する、否定するためには、もう一つ別の選択肢「しかない」と認識させる。いわゆる二分法の罠という奴だけど、意外に多くの場所で用いられている。

選択する側からすれば、これほど楽な話は無い。醤油か胡椒か、きのこかたけのこか、牛丼か牛めしか。けど、世の中には実際には選択肢はもっともっとたくさんあるのに、いつの間にか選択肢が二つしか無く、しかもそのうち一つは選ぶべきではないとの前提で提示されてしまう。誘導された側は一応「自分で選択した」という自負も認識できるという面倒なお話。

この方法論は指摘されているように、社会とか体制とか既存の決まりに反発する、敵対する、破壊したい界隈で良く用いられる。何しろ社会は悪、政府は悪、権力は悪というシンプルな構造が用意されていれば、それに対峙するだけで正義の味方として支持される。まぁ、中世ぐらいまでの鉄板ストーリーではある。物語としても描きやすい。

けれど実際にはそう簡単な社会構造や様式ってのは、むしろ少数だったりする。もっとたくさんの選択肢があるのは日常茶飯事で、悪いやつだという前提の社会や政府や仕組みが、だいぶマシだったりする。

反権力とか反骨とか、普遍的な絶対正義の価値観という認識はもう古い...というか、本当は昔から間違っているケースが多くて、それが明らかになってきたのが最近のお話なのかもしれない。物語を作っていくのなら十分使えるテンプレだけど、それを実社会に活かそうとすると、多分に古臭い、辻褄の合わないお話となってしまうのだな。

見方を変えればやみくもにそのような話を続ける人達こそが、古臭い慣習にとらわれた、悪的な存在だという解釈も可能ではあったりする。

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このページは、不破雷蔵が2019年4月21日 06:59に書いた記事です。

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