新聞関係者のツイッターは社説と同じ感覚でやっているのかもしれない

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見事にタイトルで完結してしまうお話ではあるのだけど。ますます頻度が高まる報道関係者、特に新聞関係の人のツイッターをはじめとしたSNSでの妄言暴言炎上騒動の類。どこかで見たことがあると思ったら、新聞の社説記事と同じ香りがする、というか方向性がある。

自由作文のように好き放題自分の思いのすべてをつらつらと書き連ね、不特定多数に自分の思いを喧伝でき、しかも反論は無いという、最強の一方通行プロパガンダアイテムな社説。金を払ってこんなものを読まされてる方はたまったものではないけど、書いている方はお貴族気分で読者に上から目線で語れるという、最高級のステキナイスツールに違いなく。その品質の実情が容易にツイッター上で暴露されるという構造。ツイッターコワイ。

ただ、その仮説の下に考えると、ツイッターで暴言を吐いた新聞関係者の多分が、自分の語りを否定することなく、むしろ正しいものとして頑なな姿勢を示すどころか、ツッコミを入れた側を上から目線で対応するってアクションの理由が説明できてしまうのだよね。


あるいは書き捨てレベルのものだから別に反応しなくてもいいのか、と考えているのかもしれない。だとすればツイッター上での発言はもちろんだけど、社説もまた、便所の落書き程度のものという認識なのだろう。

ではそれを書き連ねている新聞は便所なのだろうか。ならばもう少し掃除をしてほしいものだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2019年1月30日 07:23に書いた記事です。

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