差別だと 思う心が 差別だな

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この類の話は昔から半ばネタ的な形で伝えられているのだけど、最近は頻度がちょいと高まってきたかなというのと共に(可視化の影響もあるのだろうけど)、具体的な内容まで言及されていたので、覚え書きも合わせて。

業界全体の校閲マニュアルに記載されているのか、社やグループ、個人レベルでのテンプレート的な範囲で定められているのか、あるいは校閲者側のポリシーやら感情やらポリコレが反映されたものなのか、単にそう思っただけだからー、なのかは分からないけど。それっぽいように少しでも思えたら、自身の権限で抑圧するってのはその仕事に携わる者の立場としてどうなんだろうというのがある。「仕事だから」といえばそれで許される行為なのか否か。


~と思う人がいるかもしれないから差別にあたるかもしれないのでダメって話がありになると、「かもしれない」の領域はどの辺が正当化されるのか、それは誰が決めて誰が確からしさの保証をするのかという話になる。一人でもダメだと叫んだら、すべてに嫌疑がかけられる。極論としては表現そのものが不可能になる。

当方も似たような経験は山ほどしている。同じフレーズが連続してしまうので聞き心地というか見た目が美しく無いので微妙に表記を変えたら、あるいは文字数の関係で略称を一部で使ったら、「統一しろ、揺れている」とか。「性別」と書いたら「差別だ。『男女別』と書け」とか、「『両親』と書くな『保護者』と書け」とかね。

何か色々と理不尽な話には違いない。

あまり差別だポリコレだと騒いで配慮配慮がまかり通ると、差別とかポリコレとかを思考すること自体が差別に当たるようになる。現状では一部において、それがすでに体現化しているような気がする。

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このページは、不破雷蔵が2019年1月19日 07:20に書いた記事です。

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