一次データ、生データの大切さと価値の認定と

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野党が調査ってまたあの魔女裁判とか詰問会みたいなものか、「調査」と「自己アピールや叱責」を同一視して無いか、という話はさておき。例の公的機関のデータに関して、どうも色々と首を傾げる報道やら「有識者」の弁があるので、一部覚書的なものを。

生データ、つまりRAWデータに関しては何があっても残しておくべきってのはデータを取り扱うものにおいては必要不可欠。加工後のデータにトラブルがあっても、原本があれば修正ができるから。

一方で公的機関では一定期間を過ぎれば生データは捨てるのが原則...というか決まりになっている。全部残していたらいくら倉庫やらデータ保存場所があっても足りないし、管理にかかるリソースが膨大になるからだ。そのリソースを投資しても残す価値があると判断がされれば話は別だけど、その判断をするのはデータを預かる現場じゃない。現場内の規約で判断できる領域のものだったとしても、使える総リソースは限られているから、優先順位の低い生データの保存にリソースが割かれるってのは考えにくい。

「盗み読みから記事にしてるだけの人が、文書破棄云々言えた義理か」ってのは言い得て妙である。いわゆるお騒ぎ組なんだろうな。忖度云々行ってるのは問題外で、単なるヴァカとしか表現のしようがないけど。

RAWデータ出せ、残せとは当方も強く実感しているし、ことあればツッコミを入れている。けれどPewResearchCenterのような民間ならともかく、公的機関では「法的に認められていない」「勝手に保存すると『リソースの浪費』『違法保全』と責任を問われる」「法を変えようとしても『予算の無駄』となじられる」のがオチではある。無論、勝手に極秘資料を違法に持ち出して保存して、何に使ったのか分からないような状況に陥っている元首相は問題外だけど。

他方、この類の保全を法的に定めようとすると、仕事を増やすことになるのでリソースがもったいないから止めろと言われるってのもあるのだろうな。記録保全庁とかいう類のを作ってもいいような気がするのだけど。

前政権下ではその類の方向性がかなり強く前面に出たのも事実。複数の調査関連が幕を閉じられたり、データが以下略。なにしろ「データへのアクセスが少ないから(無駄だと判断して)調査中止」とかいうのまで出てくる始末だったからね。データの意味をどう解釈してるのだか。


先日日経の某サイトのリニューアルに絡んで過去のデータが消された話があったけど。結局それもまた、そろばん勘定の問題なのだろう。ただその勘定の際に、データの価値の判断ができない人がそろばんを使ったというまでの話。不幸なことではある。

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このページは、不破雷蔵が2019年1月19日 07:43に書いた記事です。

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