アイディアを想起するのと体現化するのとはまた別

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アイディアノートとかフラッシュアイディアの箇条書きとか、色々と自分の頭の中に「こうしてみたい」「これはどうだろう」というアイディアは想起されるけど、それを体現化できるかどうかはまた別の話だったりする。そのアイディアが本当にフラッシュアイディア的な、単なる思い付きレベルのこともあれば、結構なレベルにまで掘り下げた仕様書的なものにまで達していたりすることもあり、構想の度合いは人それぞれ、対象アイディア次第ではあるけど。

だけれどそれが自分の手元の覚書とか、脳内に留まったものであるのなら、ぶっちゃけた話としてさほど意味は無い。それを具体的な形で実現化し、第三者の目に触れられるようにしないと、存在意義はなさなかったりする。要は想像だけなら世界征服も瞬時に出来ちゃうよ、的なものだ。

なので、自分の中でのアイディアの創出スピードが実体現化スピードを上回り、創出したアイディアを体現化しきることは難しいなあと思ったら、どんどんアイディアを公開して作ってほしいとアピールするのも一つの手。某有名漫画家も脳内のアイディアを体現化しきれなかったとかいう逸話があったような気もする。

自分が思っていた、アイディアを他人が体現化した場合、それはそれで悔しかったりすることもあるけど(特に想像以上のものができたり評価されたりした場合)、何も生み出されずに埋もれていくよりはマシではないかな、という感はある。無論、勝手にアイディアを盗まれたり、「自分で一から考えました」とか主張されたら話は別だけど。


で、結局のところそれと同時に、アイディアの中からいかに体現化する対象を選択し、そのために必要なあれこれを用意するってのもまた、重要な話ではあるし必要不可欠な能力には違いない。ある意味、内々的な、NDAの上でのブレストってのが一つの促進策になるのかもしれないなあという気もする(「ドクトルノンベ」でそれに近い話があったし、ね......って今では【マンガ図書館Zで読めるのか。「天才をつくる男」の話】)。

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このページは、不破雷蔵が2018年11月11日 07:59に書いた記事です。

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