ジャーナリズムはスピーカーであれ

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ジャーナリズムは伝える側が好き勝手に自分の判断や思惑に従って切り貼りをしたり歪曲をしたり自分の正義の名の下に振り回す剣として使うものでは無く、まずは本物であるか否か。善悪云々となると、それを判断する基準が必要となり、その基準そのものが正しいか否かが大前提となるからね。この品物のサイズは20センチですといわれても、それを測るために使った物差しが間違ってたら何の意味も無いってところ。

さらにジャーナリズムを自称する記者の人達は単なる私企業の従業員だったり自営業者だったりする。公的な、第三者の公正な判断による承認を得たわけでは無く、資格試験をパスした資格保有者でも無く、何の担保も無い。

無論人間がやることだから、多少の揺らぎはあるだろう。だけれど現状が、その誤差範囲の領域内にあるか否かを推し量ると、とてもじゃないけど首を縦に振れられるような状態ではない。

ジャーナリズムはスピーカーたれ。音は正確に拡声しろ、変な音を混ぜたり削ったりするな。特定の方面からの音のみを拾うことなく、機能に従ってすべての音を拾え。なのですな。それがまず必要不可欠な、最優先の機能。翻訳機能を実装したり、バックグラウンドミュージックを追加するというものですら、副次的な機能でしかない。

その基本的な最優先機能ですら果たせていないジャーナリズムを叫ぶ報道界隈に、存在意義はどれほどあるのだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2018年11月11日 07:20に書いた記事です。

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