伝えないデタラメさ

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リソースには限りがあるし、人が手掛ける事だから完全な公明正大なものってのは無い。人が介在するものには必ずフィルターがかかるので、自分の悟りを人に伝える事は不可能だっていう、弘法大師様か何かの話を思い出したけど。それは理解承知した上で、その領域・許容範囲を超えた状態にあるというのが現状のマスコミの所業であり、それがさらにインターネットで容易に可視化され検証されるようになったからこそ、マスコミ不信が生じているのではないかな、と

政府は隠し事をしている、企業は隠ぺいを図っているというけれど、それを語るマスコミや知識人、有識者も同じ事をしているよね、ということになる。

こういう話をすると、既存メディア・報道とインターネットを対のものとしてとらえて話の焦点をずらしてくる筋もあるのだけど。本家サイトの記事で何度と無く言及している通り、インターネットってのはあくまでもツールでしか無いので、それを新聞やテレビといった業界でまとまっている組織と並べ比べるのは無理がある。第一、新聞もテレビも、インターネットを使ってコンテンツをもりもりと自ら配信してるよね。インターネットはあくまでもインフラだから、そこから何を抽出するかは受け手側の主観によるものとなる。セブン-イレブンにしか足を運んでおらずにコンビニのすべては語れないよね。少なくともローソンとファミマぐらいははしごしないと(他の種類も多々あるけど、あくまでも代表的なものとして)。

雑な例えだけど、テレビも新聞も「目玉焼きにはしょう油」としか伝えていない。でも自分の目の前にある目玉焼きにはしょう油以外にコショウもケチャップもマヨネーズもつけられる。そんな状態。目の前に目玉焼きが無い人は、テレビや新聞の「目玉焼きにはしょう油」をただただ信じてしまう。

テレビ放送や新聞が取り上げる話題と実情の格差について。放送側は「これは需要が無いから」「報じても商売にならないから」と説明するけど、後者ならば報道の社会的責務を放棄している。商売が優先するならそれはそれでいいのだけど、ならば社会的責務を果たす代わりに得られている数々の特権を返上し、腕章を外す必要がある。

前者ならばいつどのように計測したのか、結局は内部での思惑や推測で世の中の動きを確定していないか、と。「私達が世論を、社会を作っているのだ」という傲慢さで取り組んでいるのではないか。計測していたとしても、随分と昔の経験則に基づいているだけではないのか、と。

加え、新聞記者をはじめ、報道関係者が次々と、「これが報道の本質、本当のレベルだ」をお披露目してくれるようなレベルの言及を成しているのを見て、色々と考えてしまう。あの方々はもしかすると、問題視されている言及を正論、普通の話と断じて公知しているのかもしれない。狂気のような正常さを自認している。だとすれば、かのような軸がずれている考えを持つ人たちによって、今の報道は構成され伝えられていることになる。

また仮に、炎上商法だとすれば、今の報道はイエロージャーナリズムに染まっていると認識してもよいのだろうな、と。

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このページは、不破雷蔵が2018年9月17日 07:52に書いた記事です。

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