没頭できる対象が無いとその面白さや苦労を理解できない

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全部が全部ではなくケースバイケースではあるのだけど。自分が経験していない、得るまでのプロセスを認識していない人にとっては、完成されている状態に移行するまでの気苦労とか投入時間の長さとかを理解できないケースが多い。むしろ、吐き捨てるような形で、見下すような姿勢を示すこともある。あれは何を意味しているのだろう。滝に打たれて数十年とか、毎日数十キロのマラソンをしたといった超絶苦労話の類では無いから、期待したほどの努力とか蓄積ではなかったのか、という期待外れ感的な意味合いがあるのか、それとも「その環境なら誰でも、それこそ俺だってできる、習得しているに違いない。だから自分より上に見えるこの人が、別段スゴイというわけでは無い」という自分の現状を否定しないための逆切れ的な姿勢なのだろうか。

自己防衛のための反応ならば仕方が無いけど、それはそれで可愛そうな気がしてならない。


そして解釈としてはこちらの方が多分なのだろうなあ、というお話。自分が経験していない道のりだと、その大変さを理解することもできない。だからちょっとしたことですぐに修得できるものと判断し、「なんだそんな簡単なこと。それぐらいのことでドヤ顔している(ように見えているだけ)のか」という、俺様は何でも分かっているのさという姿勢なのかもしれない。

けれど多分にそういうケースでは、のめり込んで経験を積み重ね、時間をかけてきたことではじめて習得できるスキルであり、ぱっと見での労苦で得られるものでは無い。ごくごく希に、それに該当するような大天才もいるけど、そんな希なケースを基準に物事を考えていたのでは何もできなくなってしまう。

自分が没頭できるものが無く、何となく生きてきた場合、自分の経験則が無いから理解がし難い。そういう世界があることの認識が難しい。無論、それを知識として会得して、納得できるだけの力量があれば話は別なんだけどね。

他人が得ているスキルに対して「ちゃっちゃっと」と平気で投げられる人達は、指摘の通り、自分自身の中にそういう積み重ねで得たスキルが無い人なのかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2018年8月27日 07:21に書いた記事です。

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