筆記用具と書き手の相性

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そもそも当方は字がべらぼうに下手くそなだけで無く、複数にわたってその文字の下手さを大衆にさらさせる形で卑下された経験があるので、文字を自分で書くことに対してトラウマに近いものを持ってしまっている。それゆえに、パソコンを使ったワープロでの文字打ちは革命的な出来事だった。

無論今でもシステム手帳や覚え書きなどでは文字を自分で書いているけど、他人に見せるような状況ではやはり軽い苦痛を覚えてしまう。また笑われるのではないか、他人にちゃんと読んでもらえるのか、とか。

で、そのような状況でも特に、シャーペンとか薄いタイプの鉛筆では文字の汚さがよく出てしまうような気がして、非常に苦手だった。ところが濃い鉛筆とかサインペンとか万年筆のたぐいだと、書く時の感覚も悪くは無いし、それなりにまともに見える、少なくとも自分自身はそう思えるということで、そのトラウマも軽いものとなる。

そんな話をこのツイートで思い出した。具体的な論理的説明は難しいかもしれないけど、過去の記憶とか書く時の感覚とか色々な要素で、本人にとってはダメな筆記用具とそこそこイケてる筆記用具ってのは確かに実在する。


特に万年筆とかリッチなサインペンだと、消せないけど書き心地が別世界のレベルのもので、ああこれが文字を書くということなのだなというイメージがわいてくる。書くこと自体に楽しみを覚えてしまうのだな。格好良さとか心地よさとか。また、清書ならばともかく、メモってそういう感覚、つまり消す必要は無いレベルのイメージで書くもんじゃないかという感もある。

メモ書きでデジタルが一番って人もいるだろう。今後電子パッドのたぐいがもっとイージーなものになったら、あるいは当方もそう思うようになるかもしれない......けど、ある程度は保存しておけるってことを考えると、まだまだチラシの裏で作ったメモの方がいいかな。随分と安くはなっているのだけどね、電子パッドのたぐいって。

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このページは、不破雷蔵が2018年8月27日 07:52に書いた記事です。

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