報道媒体を記者の論旨の拡散に流用したら、活動家による機関紙出版と同じ

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ソーシャルメディアは意思表現のハードルを下げてくれるため、結果として個々の実情の可視化が進むことになった。結果として「正体見たり」という事例があちこちで生じている。ソーシャルメディアによって状況が変わったのではなく、元々そういう状況だったのが明らかになった、というところが実態に近いのだろう。

で、今件は毎度毎度のお話ではあるのだけど、報道界隈の記者先生の「自分が活動家と呼ばれるのは不本意である」的な御主張へのツッコミ。まぁ、ツッコミの通りで、まず記者とは事実を伝えることが第一義的な存在理由。

昨今の、ソーシャルメディアに顔を出す報道界隈の人に顕著なのだけど「わたくしのご意見をお聞きあそばせ、この愚民ども」的な態度が強くて、果たして報道の意味を分かっているのかなという強い疑問が生じている。まずは糸電話の役割を果たしませう、というところ。報道媒体を記者の論旨の拡散に流用したら、活動家による機関紙出版と同じでしかない。

そりゃ確かに人間だから、多少のぶれ、感情の入り混じりはある。けどそれは口にしたらいけない類のものだし、また、誤差の領域を超えたものであってはならない。人間だもの、みつを的な考えで許容できる領域のものだろうか、今の報道の仕事の実情は。


感情論ってのは魔法の調味料みたいなもので、どんなまがい物でも中身の無いモノでも、美味しいものと誤認させる魔力がある。だからそれを利用して安価でそれなりの成果を得られる感情論は安易に用いられるし多用される。でもそれって、報道じゃないよね。

感情論を含めたら、それは報道では無く論説。プレスとオピニオンをごちゃまぜにして、プレスのごとくオピニオンを流すのは単なる詐欺師でしかない。くだんの記者先生は、自分が詐欺師であることを誇らしげに語っている事になるのではないかな、と感情論大切云々と語る人を見ながら考えてしまう。

というか本質部分の糸電話の役割すらろくに出来てもいないのに、糸電話のふりをして自分のノイズを混ぜるってのは、単なるインチキではないだろうか。報道はまず、何よりも、スピーカーでなくてはならない。雑音勝手に混ぜるな。それでは心霊現象ではないか。

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このページは、不破雷蔵が2018年8月 5日 07:27に書いた記事です。

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