セクハラと褒める練習と

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セクシャル・ハラスメント、略してセクハラ。セクハラの問題点は多分にして、行為者が自分の行為をセクハラ、つまりやってはいけないこと、忌み嫌われることであるってのを自覚していない点にある。もっともやっちゃいけないことだと認識した上でやっていたら、もっと罪深い話ではあるのだけど(セクハラに限らず、ハラスメントと称されるものの多分は、行為側がそれを成してはいけないとの認識が無いのが問題だったりする。モラハラとかがよい例)。

当人は褒めているつもり、単なるネタとして取り扱ったつもりでも、相手、第三者にはそう見えないことも多々ある(この辺りは実のところ難しい話で、見方を変えれば何をされても「自分がそう思ったんだからそうなんだもん!」と主張されたら、無敵カードと同じになってしまうのだけどね)。

ともあれ、くだんのポスターの件にしても、脳内で色々と思うのは自由ではあるのだけど、それを口にした時点でアウト......ってああ、これはツイッターでの「思っただけなのに」「ツイートした時点で不特定多数に向けて語ったのと同じ」という問題に似ているかな。


どうせやるなら相手を太鼓持ち、というのはオーバーだけど、褒める言葉を使うように。ポジティブな話を持ってくる。ただ、この基準に従ったとしても、その基準を自分で都合の良いように切り替えて、平気でボーダーラインを超えてしまうから始末に負えない。指摘されているような容姿の類を全部封印するだけでも、随分と違うのだけどね(容姿は多分に、本人にはどうしようもないことだから)。

......あれ。そうなると、漫画とかでよく見かけるケース「髪型変えた、シャンプー変えた、口紅変えたのに気がついてくれない」ってのは、下手に触れるとアウトになるかもしれない境界線上の話だから、触れていないだけって可能性もあるのか。これはこれで興味深い見地ではある。

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このページは、不破雷蔵が2018年3月31日 07:24に書いた記事です。

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