「いいね!」問題は情報リテラシー、ITリテラシーのリトマス試験紙

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朝日新聞の「いいね!」問題で色々な方面が吹き上がっているので、一連の事案に関してはこの点に絞って。比較的論理的に解釈された良い記事があるとの話を受けて読んだところ、論理的で道理が通る、システム的にも矛盾が生じていない内容だったので、覚え書きも兼ねて。

Facebookの「いいね!」は対象側へのアクティブソナーみたいなもので、対象記事に対する拡散能力そのものは無い。読んだよ、ぐらいなもの。Facebookでは感情表現のアイコン選択ができたけど、それの選択をしたとしても深い意味はない。深い意味を持たせるのならそれこそ直接コメントすればいい。ツイッターの「いいね」に近いけど、ツイッターでは「いいね」したものは自分のフォロワーのタイムラインに流れる可能性があるので、Facebookのはむしろさらに限定的なものとなる。

そして「いいね!」と翻訳はされているけど、これが本当に賛美称賛の意味で使っているか否かは本人の使い方次第。例えばこれがイメージカットとしてウェーブしているような写真を貼り付けたりすれば、肯定称賛していると認識されても仕方が無いけど、「いいね!」をそこまでの理由で使っている人がどれほどいるのか。ましてやちょいと調べれば、そのような使い方とは認識し難いと容易に理解できるにも関わらず、それを新聞社や政治ジャーナリストを自称する方々が成さずにお騒ぎされるとは。


今件に関してはどこまで本気なのかは分からないけれど、国会議員先生も複数がけしからん、証人喚問すべきだとか言い出している。それを公言し、その内容が報じられるということ自体、大変大きな問題であるとの認識をどこまで有しているのか。自身の所属組織(国会議員にしても新聞社にしても)の構成員の同じような行動を洗いざらい調べて同様の反応を示されたら、それこそ24時間テレビクラスの番組枠が必要になる。そしてそれはメディアや国家権力による言論弾圧と同義であることに気がつかないのかな、と。自分はダメであちらは良しとする理由は。Facebookのはダメでツイッターやブログでの書き込みは良しというのも理屈が通らないよね。

そして仮に「冗談半分で」「その場のノリ」的な認識でやっているとしたら、冗談やノリで国政を語っていたのかというのはさておくとしても、その構図っていじめにおけるイジメた側の論理とどれほどの違いがあるかと感じてしまう。


まぁ、今件はクリック一発で新聞社や一部先生、有識者の「見識」「デジタル系技術のレベル」を明らかにさせてくれるという点では、くだんの「いいね」はまさに北斗の拳の秘孔に等しいものがあるかな、という感はある。指先一つでダウンさ、的な。ダウンした側は「致命傷で済んだ」的な顔をしてゾンビ的に徘徊し続けるだろうけど。

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このページは、不破雷蔵が2018年3月15日 07:46に書いた記事です。

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