殴る側は一発でも殴られる側は「またあるかも」と思うもの

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これは生物の生存本能にも関わってくるものであり、人がポジティブな話よりもネガティブな話に耳を傾けやすいのと同義だろうなあ、という感はある。殴った側は繰り返しという気持ちは無いかもしれないけど、殴られた側は再び同じような仕打ちを受けるかもしれないと身構え、恐れ、恐怖を覚えてしまう。見せしめという言葉はあまり使いたくないけど、その類が治世の手法で使われているのと同じ。ましてや同じ事が何度か繰り返されると、さらにあるのではとの懸念がますます大きくなり、それ以降実行はされなくても、恐怖に制圧されたも同然となる。

特に自分自身の力が弱く、とにかく生き残るために必死になる子供においては、その傾向が強くなる。保護者に虐待を受けた子供が、それでも保護者をかばうのは、それが親子の絆があるからというのも要因だけど、他に「意にあわないことをするとまた同じようなことをされるかも」との恐怖に縛られている部分もあるのだろう。力の強い人から弱い人向けの行為も似たようなもの。まぁ、いじめとか脅迫とか典型的な例だよね。

以前イジメ関連の記事でも書いたかな。人は現状に絶望するのではなく、未来にそれが続くのを想起できるので絶望するのだな。


犯罪被害にしてもそうだし、先日触れた就活での人格否定も同じようなもの。おとぎ話的なポジションに置いていた存在が、突然目の前に現れて色々な意味で世界が変わってしまう。「大人になる」というとカッコよく聞こえるけどね。

被害を受けた側の認識は、その被害だけに留まらない。未来に向けてもばらまかれた恐怖もまた、被害に他ならないのだな。

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このページは、不破雷蔵が2018年2月11日 07:15に書いた記事です。

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