表現の場のリスク分散

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先日ツイッターのAPI関連のルールが変わって抵触したサードパーティーアプリが軒並み機能不全になった件。トゥギャッターの事実上の利用不可能状態はダイナミック痛手だったのと共に、色々と不安を覚える次第。規制をする側では仕方が無い、当然だ、正当性があるということではあるのだけど、受ける側では理不尽さを覚えるパターンも多々あったりする。「聞いてないよ」状態とかね。

今件は運良く解除されたけど、再び似たようなことが生じる可能性はある。APIの開放によるサードパーティーのアプリの展開は利用者を底上げしてくれるメリットがあるけど、自社の類似機能の利用機会を減らしてしまうデメリットがある。その天秤を見極め、自分の良い方に施策のかじ取りをするのは、ビジネスなら当然の話。自社のサービスで競合他社の類似商品を取り扱わないってのは日常茶飯事ではある。利敵行為は出来ぬということ。


あらゆるサービスは機能不全、提供終了のリスクがある。一時期のブログサービス終了ラッシュの時にはその考えを強く認識させることとなったけど、今回のトゥギャッターの機能不全化もまた然りというところ。というか、昨年だったかな? ツイッター自身も財務関連で終了するかもしれないから大変だという話があったはずだけど。

そのようなリスクを考えると、いくら便利だからといって自分の情報発信の場を1か所に絞ってしまうのは結構危険な気がする。投資の世界における「たまごを一つのかごに盛るな」的な考え方そのもの。Facebookやブログ、ウェブサイト、note、画像系ならPixivとかインスタグラムとかYouTubeとか。分散化は面倒だしリソースも余計に必要になるけど、手掛けておいた方がよいのだろうな、と。

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このページは、不破雷蔵が2017年12月23日 08:02に書いた記事です。

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