工夫や要領のよさとズルと

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先日の「工夫をしてリソース不足を補完するのならお金を出せ」と相反するように思えてしまうかもしれないけど、これはむしろ逆で、現状をより楽にするためのポジティブな工夫。1の結果を出すのに1のリソースが必要な状態で、2の結果を求められてしかもリソースは1のままで工夫しろというのが先日のお話。今回は1の結果を出すという状況はそのままで、0.5のリソースで済ましてあとの0.5分は楽をしようというもの。

良く語られる例としては、ちまちま入力と計算を繰り返していたのを、マクロを組んだらあっという間に終わったよというもの。まぁ、計算が雑だったりミスが生じえるようなものだったらマズいけど、やっていることが正しいのならば任せられるところは機械任せにした方が楽には違いない。でもそういうことをすると、ズルをしているとかインチキだとか手抜きだとかちゃんとやれと怒る筋がいる。理不尽。

もっと簡単な例だと、電子レンジで加熱中は他の調理をできるはずなのに、「ちゃんと電子レンジの様子を見て無きゃダメだろ」と、ずっとレンジの前で突っ立っているのを強要されるとかね。まぁ、吹き出る可能性があるのならともかく、さ。


指摘されている通り、ふきあがる人たちの理由は色々とあると思うんだ。自分が理解できない工夫は何かインチキや手抜きをしているに違いないとか、自分が苦労していたのをこんなにサクサクしてしまうのはシャクに触るとか自分の労力が否定されたようで悔しいとか、さらには自分の価値観が否定されてしまうのではないかという恐れからの反発とか。

非効率的なことをがんばるから良い、効率的なことを時間がかからない・手を抜いているように見えるからダメだとするのは、単なる精神主義・感情主義でしかなく、非論理的。「ではなぜズルなのですか、手抜きなのですか」とツッコミたくなるよねぇ、ホント。

技術の進歩で自分のこれまでの労苦が否定されるのではなく、その労苦があったからこそ新しい技術の進歩を見出すことができた。ステップアップの踏み台になったというポジティブな思考ができないのは、旧態依然のロートル的な存在なのだろうなあ、と。

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このページは、不破雷蔵が2017年11月 1日 07:55に書いた記事です。

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