ネットに現れるひとの生活は、全体のごく一部でしかない

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「何当たり前のことを」と突っ込まれたらそれでオシマイな話ではあるのだけど、指摘されると、確かにそうだよなあという、あるある話。24時間ぴったりと密着をして逐次対象者の実情を報告しているドキュメンタリーの放送ではなく、語り手本人の意図で取捨選択した結果としての表現なのだから、すべてがすべてを表しているわけではなく、それを読んでいる他の人が、その人のすべてを知り得るわけではない。

むしろブログやウェブサイト、ソーシャルメディアで語られているお話は、リアルタイムで自動取得されたものでもない限り、本人が他人に公知したいと考えた内容でしかない。断片のみのお話なんだな。

第三者はその断片のみを見ているので、どうしても全体を見誤ってしまう。幸せジェットストリームアタックなる表現も、あながち間違っていない。まぁ逆に考えると、良かった探しが勝手に行われている状態とでも表現できようか。


ただ、指摘の通り、ツイッターは表現のハードルが低いのと、1表現(ツイート)あたりの文字数に制限があるので、ハッピーでポジティブな話だけでなく、口やらたわごとやらもぽろぽろ出てしまう感は強い。これがFacebookだとポジティブな話のみを出さねばいけないような雰囲気だったり、インスタグラムだとなんだか小洒落た写真のみ存在が許される的な感じが強い。ブログのようなカオス感があり、他人の様相をすぐに見渡せるのがツイッターの長所であり、短所でもあるのではないかな。

もっとも。たとえ同居していても相手のすべてを把握することはできないし、さらには自分自身でも自分のすべてを認識することは難しい。見るためのスリットの大きさが違うだけってことでしかないのだよな。さらにいえば、見えるものすべてが事実とは限らないし、ねえ。

まぁ、すべての物事を見知ることができたら、それはそれで面白くもないし、逆に精神が耐えられないような気もするのだけど。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年10月21日 07:18に書いた記事です。

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