新聞記者のツイッターアカウントが偏向言動や暴言を繰り返す理由と「ひきょうなこうもり」

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これまでにも何度かに渡り、ソーシャルメディア、特にツイッターでは意思表現のハードルが低くなるので、報道機関の関係者において、地が出て暴言やら偏向やら問題発言を繰り返すという指摘をしてきた。当人は恐らく悪質な新興宗教の信者のようなモードで、懲りずにとかというレベルではなく、自らの行為を絶対正義と成し、何らかの指摘や非難があっても、むしろ自身の正しさを再確認するのだろう。

ただしそれは、自身の肩書とは相反する、少なくとも並列させて語る内容ではない。「個人の感想です」という免罪符は通用しない。それがしたいのなら、所属とはつながりのない一個人として発言すれば良いまでの話。新聞社の中から大声で騒いで、その内容を「故人の意見です」というのが通用しないのと同じ......まぁ、「社説」などですでにやらかしてるので、それがソーシャルメディアでも通用すると考えているのだろう。

で、この類の問題発言って考え直してみると、ジャーナリストや知識人などは別にして、報道関連に限定すると、ほとんどが新聞界隈。テレビやラジオはほとんど見られない。所属スタイルの問題もあるのだろうけど。

そこで気が付いたのは、新聞は報道機関であると共に、言論機関でもあるということ。そして新聞が報道機関云々ってのはあくまでも自称でしかなく、法的にも制度的にも誰も認めていないし、裏付けもないってこと。

そこまで考えると、多数の新聞記者があのような所業を繰り返すのは、その時には「自分達は言論機関だから公平性とか事実とかは関係ない」というモードに切り替わっているのだろう。ある時は報道機関、都合が悪いとなったら言論機関。

でもそれって調子がよくないかな? 報道機関の仮面をかぶって、言論機関の所業を成すのは、単なるインチキでしかない。言論機関と報道機関の成すべきことが相反する部分において、その両方が両立することはありえない。非番の警察官が制服を着たままあちこちを歩き回ってにらみを利かせるようなもの。

同じアカウントである時は報道機関として、またある時は言論機関として振る舞う。それはまるでイソップ童話の「ひきょうなこうもり」なんだよね。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年10月 8日 07:28に書いた記事です。

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