「自分の信じる正義のためなら何をしても許される」との発想

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秋葉さんは定年退職した2016年3月、在職中に持ち出した生徒の氏名や住所などの個人情報を使い、手紙と署名用紙などを卒業生335人に郵送。前年9月に成立した安全保障関連法へ反対する署名を求めた。


県教委は16年5月、個人情報の無断持ち出しと目的外使用に当たるとして勧告処分とし、秋葉さんも受け入れた。ところが約1年後の17年5月になって、県教委は県個人情報保護条例違反の疑いで秋葉さんを県警に刑事告発。翌月には県警の家宅捜索を受け、計10時間以上にわたり任意の事情聴取も受けたという。


詳しくは記事にある通りで、定年退職した元教諭が、在職中に持ち出した生徒の個人情報を用いて「安保法案に反対すれ」的な手紙と署名用紙を送り付け、それを罪に問われたら、罰するのは重過ぎる、不当な罰則適用だと反論しているとの話。

ご当人の主張としては『「卒業生の幸せを願って手紙を出したことが刑事罰となるのは納得できない」として、不正な利益を図る目的での使用ではない』とのことだけど、行為者本人が納得するか否かと、法令違反となるか否かとは別問題なんだよね。自分が正義だと、相手の幸せを願ってやったのだから罪にはならない、悪い事ではない、大目に見ろという主張がまかり通るのなら、何をやっても問題ないということになる。

今件において送り付けたものが新興宗教の不当なツボ購入の話だったら、悪質な健康食品ビジネスの話だったら、詐欺の原野商法のパンフレットだったら。いずれも送った本人が「卒業生の幸せを願って手紙を出した」と主張したら。


指摘にもあるけど、自分の主張を正義の行為と脳内転換して、だから免罪符が使えると固く信じているのがとても怖い。これって悪質な新興宗教の信者と同じなんだよね。狂信者とでも表現すべきなのかな。私の正義のためには法ですら適用外となる、的な。ああ、これって【「私達記者は正義。がんばる。」よろしい、それでは君らジャーナリストの正義は 一体どこの誰が保障してくれるのだね?】で記した「私達記者は正義。がんばる。」が象徴した、報道界隈の自称正義論と何ら変わりはないわけだな。

反社会的行動をする人の自己正当性の主張として、この類のが増えてきた感はある。いや、元々そういうもので、それが単に可視化されるようになっただけなのかもしれないけれども。

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このページは、不破雷蔵が2017年9月25日 07:30に書いた記事です。

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