仕事の依頼はすべての時間の拘束を意味しない

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ソーシャルメディアの普及浸透で人の日常生活がより伝わりやすくなったこともあり(人の露出願望、承認欲求、さらには深層意識にある「想いを共有したい」、王様の耳はロバの耳的な)、この類の話はよく聞くようになった。要は、仕事を抱えている人が何らかの形で仕事以外の発言をしたり、仕事以外のことをしている(遊んでいたり趣味に高じていたりとか)と、「仕事もせずになにをしているのか」というツッコミがあったりする。一般の人だけでなく、同じ業界の他の人とか、さらには編集などからもあったりする。

で、そのような行為は果たして良い事なのか否か。例えば該当する人が締め切りをバリバリ破る常習犯だったり、非常に多忙で作業に注力しなきゃならない時に長時間放置していたりした場合は話が別だけど、そうでない時は「締め切り、作業依頼、成果を求めることは、その人個人の時間のすべてを拘束するものなのか」という疑問が生じてしまう。いや、「手前はそんなことやってる暇があるんなら、さっさと仕事を終えやがれ」という下衆なものではなく「大丈夫? 仕事あるんでしょ? 終わるの?」という善意の心配からの声なのかもしれないけれど。


そのように考えると指摘の通り、仕事にしても依頼作業にしても、求められているのは成果であり結果であり作品であって、作り手の時間拘束、自由束縛ではない。最終的に求められているものをしっかりとあげればそれで良く、ダメだったらその時にはじめて無計画性、見積もりの甘さを指摘すれば良い。

もっとも常習犯的にそのような行動を繰り返していたり、どう考えてもその時点で作業以外のことをしていると間に合いそうにないような状況ならば話は別になるけど。ただしそのような判断は、多分に中の人でないと分からない。外部の人がやんややんやとツッコミを入れるのは野暮でしかなく、自分の脳内で済ませておいた方がよい。

まぁ、それでも心配な人、例えば依頼主ならば、そのような束縛なり報告書の提出をも契約に含めておくべきだろう。その場合、請求されるお値段はけた違いに跳ね上がるだろうけどね。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年8月19日 07:52に書いた記事です。

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