戦争の記憶と語り部と「加害責任」と

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1945年に太平洋戦争が終結してから、今年で72年目。そろそろその戦争を実体験した人が寿命を終えて居なくなるころではあるのだけど、一部で指摘されているような声があがる。人の寿命を延ばせ云々ではなく、直に経験した人の直接の語りが聞けなくなるから困るというもの。

指摘にもある通り、この類の話を報道側が成すのには、2つの問題がある。一つは、経験者の記憶を、話を、記録して伝え、保全しておくのが報道の役割なのではないのか。それを放り投げて「語り部が居なくなる」とは、自分達が仕事をしていないと暴露するのと同じ。先日の「説明をしていない」と報道側が追及するのと同じ。

もう一つは記憶そのものは常に変質してしまい、本人の脳内で改ざんされるものなので、物語としてならともかく、事実の伝承としてのものの価値は薄れているってこと。歳を経るに従い記憶があいまいになるってのは、お年寄りのお話を聞いたことがあるのなら誰もが納得できること。それを戦争に関する話に限り、100%間違いなく事実だとするのは、都合が良すぎやしないかな、と。この辺りも以前言及した記憶はある。

加害責任云々との指摘が記事でなされていますが。2015年8月14日の総理談話 (kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html 、いわゆる70周年談話)で 


日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 とあります。それに従ったまででしょう。 

当時は国内だけでなく諸外国に渡り、各方面で話題に登り、記憶している方も多いとは思うのですが。


まぁ、その報道界隈にしても、戦争体験云々はおろか、わずか2年前の話ですら、無かったかのような論理展開をしているのだから、正しく記録して継承していくという社会的責務を求めるのは難しいのかな、と。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年8月16日 07:13に書いた記事です。

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