「金がすべてじゃない」のなら、「お金でほとんど解決する」よね

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先行記事のボランティア周りでもちらりと出てきたけど。守銭奴という言葉にもある通り、お金の話は汚い、積極的にしちゃいけないという風潮がある。経済成長周りの話をしても、しかめっ面をする人が少なからずいる。質素な生活こそ一番で、お金を使うこと自体が罪悪だ、的な感すら覚える。お金を武器にするのは良くない、的な。

けれど指摘されてる通り、お金でたいていのことは解決できる。むしろ逆で、そのための存在として定義づけられ使われているのがお金。お金じゃなくても解決できる仕方もあるってケースでも、大抵はお金で終わらせた方が楽で、実際にはコストも抑えられる場合がある。

お金で解決できないこともあるとか、そのような人たちが大いに旗印として掲げているのが「お金が、経済成長がすべてじゃない」。さらには昨今の国家財政とも合わせ、「だから景気より財政規律が大切」という主張まで成される始末。

でもさくっと考えると、『お金が、経済成長がすべてじゃないなら、経済成長でほとんどが解決できるのだよね。「すべてではない」というのなら、「例外もある」程度の意味合いなのだから。それと「景気より財政規律を優先する」べき理由は何の連動性もないけどね」』でオシマイとなる。そもそも財政規律の必要性って、どのようなもので、どこまで必要なの? 財政規律を優先してギリシャの現状のようなことになり、主張した側が自己満足に浸ればすべてよしって考え方なのかしら。


で、今件に合わせ二宮尊徳氏の話が出てきたので、覚え書きも兼ねて。「道徳なき経済は悪徳だが、経済なき道徳は戯れ言である」ってのは言い得て妙だけど、あまりにも現代的過ぎてちょいと首傾げ。

ということで調べてみたら、尊徳氏の言葉そのものではなく、それを解説した本で使われていた言い回しだったというお話。ただ、それっぽいことは原典にも書かれてあり、それを今風にまとめ直したというところ。

しかしながら「社会の用をなさねば寝言である」「社会を豊かにし福利厚生を増進するのが聖人である」という言い回しの方が、むしろキツい内容のような気がする。

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このページは、不破雷蔵が2017年7月 7日 07:25に書いた記事です。

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