「それは報道ではない」

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ニュース報道は基本的にはその事案に対する事実を淡々と述べるべきで、それ以上のものは何もいらないどころかかえって邪魔なものとなる。素材の味そのものを楽しみたいのに、調理人がソースやケチャップが好きだからと、それをもりもり上に乗せてしまい、その上で「素材そのままの味わいをお楽しみください」と差し出すようなもの。テレビならば番組と番組のはざまに差し込まれる、数分程度の短いニュースのスタイルが、本来あるべき姿。

それを印象付けさせたいから、特定の意図を受け取ってほしいから、誘導したいからという理由(意図的か無意識化はともかく)で付け加えたり編集するのは、報道の仮面をかぶった論説、プロパガンダでしかない。

以前も言及したけど、事実報道の類の記事などで、推定形の表現が含まれていたり、感情表現が加えられて演出の類がなされているものは、そこに事実に何かをつぎ足したと認識した方が良い。袋詰めのお菓子で色がちょっと変わっていて、よく見ると開けたような切れ目が開いている、そんな感じ。


そしてその演出は多分にウソが混じっていたり、事実とは異なるものだったりする。それはすでに報道では無い。報道で無いようなスタイルに戻そうとすると集客できないとの意見もあるけど、それはそれで別にかまわない。商売としてならどんどんやっても良いだろう。でもそれは報道では無いのだから、機関紙やら論説紙としてやってほしいし、報道のふりをするのは羊頭狗肉でしかなく、糾弾されても当然の話となる。

現状は多分に、「裏取り・分析・解説・添削」を見ない層に向けたものなのだろう。これこそが機関紙化している裏付けでもある。商売としては正しいのだろうが、そこにはもう「報道」の姿は無い。


ネットが浸透し始めた時代、「それは情報ではない」なる本を読んだことがある。解説にある通り「デジタル時代にビジネスを成功させるためのカギは、「情報をいかに正しく理解し、理解させるか」」「単なる情報はデータの羅列に過ぎず、(真の)情報とは理解に結びつく形になったものを指す」的な話ではあるのだけど。今は「それは報道ではない」という感が強い。

今の「報道」は単なる情報の一つでしかなく、「報道」として信ぴょう性のある、それこそうのみに出来るようなものでは無くなってしまった(元々「報道」ってのは社会全体の公共利益の維持拡充のために、不特定多数に向けた分かりやすく正しい情報を配信するってのが社会から求められていて、その社会的責務を果たしているとの前提があるからこそ権威が与えられ、さまざまな特権が認められているのだからね)。「報道」と呼ばれている、自称しているものだけでなく、さまざまな情報を取捨選択して、その上で取り込む必要があるのだよね。

......本来インフラの整備、進化は、人の生活を楽にするもののはずなんだけど、かえって手間が増えるようになるってのは、ある意味皮肉なものではある。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年7月 3日 07:48に書いた記事です。

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