「ネットで真実」は今でもアレな話だけど

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ネットの情報は一方向性のものではなく双方向性で、しかも多数の選択肢が用意されてそこから自分が(正確性や信憑性なども吟味した上で)選べるので、選び方を間違えると「自分の都合の良い」真実を習得してしまう。真実とは自分の考えに合わせた上でのお話で、客観的・第三者的なものから見た上でも同じ物事である事実とは異なる場合があるからね。例えばコロッケが10個あるとして、「コロッケ10個」は事実だけど、「コロッケが食い切れないほどある」は自分にとっての真実となる。時としてイコールになることもあるけど、そうじゃないこともある。

ただ、少なくとも選択肢が増える、特定箇所からの情報のみで判断をしなければならない状態では無くなるってのは、非常に好ましい話ではある。小さな水たまりの中でしか釣りができなかったのが、ボートを使って大海で釣り糸を落とせるよ、的な。ただしそこで釣りをして得物を得るためには、色々な準備や情報が必要になるのは言うまでもなく。


「家畜のように」という表現はいくぶん過激な表現かもしれないけど、飼い主たる情報を与える側から都合の良いようなものばかり与えられる状況は、それ以外に適切な表現が見当たらない。あるいは完全配給制の世界で、その配給品に少しずつ毒物......というか無気力になるような薬が入れられているような。手塚先生の短編「時計仕掛けのりんご」がそんな感じ。

まぁ、報道メディアが社会から求められている責務を果たしていなかったってことなんだろうな。

            

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このページは、不破雷蔵が2017年7月 3日 07:05に書いた記事です。

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