貧困の描写と部屋の中の片づけ度合いと

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これは指摘されてああ、なるほどと実感したし、自分は絵は描かずに演出家の立場でもないけど、例えばレゴで何か住宅の類を作る時とか、あるいは作る側じゃなくて演出されているものを読者や視聴者として見る側に立った時に、このような考え方が頭に入っていると、もやっとしているものがすっきり感を覚えるなという圧倒的感謝感。

「涼宮ハルヒの憂鬱」に出てくる長門の部屋のように、テーブルとテレビしかないってのは極端に過ぎるところがあるけど、確かに本当のお金持ちってのはすっきりした部屋の構成をしているような雰囲気があるし、お金が大変な状態だと片づけができていないしモノがあちこちにぎっしりと詰まっている感はある(と、自分の部屋を見渡して後者であることを実感しながら)。


モノのごちゃごちゃ感はそこに住まう人の生活様式、性質を間接的に描写したことになる。もったいないから、でも具体的に何がどうもったいなくて、今後こんな風に使うかもという思惑は無い、単に自分が買ったものを捨てるのはイヤだ的な感覚が、死蔵するアイテムの山を作っている。カラーボックス周りは当方も実感していて、場所ばっかり取って意味が無いって感じなんだよね。

無論資料の類は存在するだけで価値があるので(無論整理は欠かせない。欲しい時に見つけられないと、存在していないのと同じだから)、この辺りの話と一緒くたにすると困るのだけど。図書館とか資料室が「貧乏臭く見えるから」とばかりに、片っ端から中身を捨てられたら困るよね、的な。

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このページは、不破雷蔵が2017年7月 3日 06:50に書いた記事です。

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