記者の能力と成すべきことと印象操作と

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今件を見返すにちょいと前の復興相に対する活動家な記者とのやり取りが想起されるけど、結局記者と活動家の境界線があいまいになっているのかなあという感もあったりする。このような話が伝えられる際に、実際にこれまで何度同じような質問......というか要求の類をしているのか、議事録まで参照している人は滅多になく、新聞の切り貼り記事を目に通す人が大部分なので、「ちゃんと答えない、感じ悪い」って印象が出来てしまうのだよね。

実際に、あることないことではなく、ないことないことを繰り返し、それこそハウリングのように問われ、そのたびに否定されるのを見れば分かるのだけど。そのような部分は記事として報じられることは無い。例えるなら「100円下さい」『いやです』「100円下さい」『いやです』「100円下さい」『いやです』「100円下さい」『いやです』「100円下さい」『いやです』という感じで、その後に記事として「要求したけど受け入れられなかった」と書かれるところ。あるいはおもちゃ売り場の前で高額なおもちゃを買ってと駄々をこねて泣き叫び、その後祖母に「お母さんにお願いしてもいうことを聞いてくれなかった」と母親が意地悪をしたかのように風潮吹聴する感じ。

加え今件は、調べてもいないことを質問しているのもポイント。なんかそれっぽい話があったから(本当にあったかどうかすら分からない)本当か聞いてみた、否定されたから聞いて見た、また否定されたけどそれでも聞いてみた、肯定の意見を聞きたいから何度でも聞いてやる、ってところなんだよね。


何でもっていうと語弊があるけど、ネットを使うことで調べる事は随分と容易になった。さらに新聞記者を生業としている人達は、それぞれ自分達にしかない手立てを持ち、それを用いて誰もができることを超えた情報収集と精査をすることが、今や求められている。しかしながらそれすら成されていない。記者以外の人達の情報収集・精査能力がアップしているのに、記者そのものがむしろ以前と比べて能力低下に陥っているので、余計にひどさが目立つようになっている。

もしも「それこそが報道の真の姿だ」と自覚しているのなら、それは報道ではなく単なる活動家でしかない気がする。今の新聞などが機関紙まがいに感じられるのも、つまりはそういうことなのだろうな。

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コメント(1)

>意地悪をしたかのように風潮する感じ
「吹聴」ですよね?

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このページは、不破雷蔵が2017年6月30日 08:06に書いた記事です。

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